菜乃花 2018年10月04日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第42回

掲載日時 2016年11月07日 14時00分 [政治] / 掲載号 2016年11月10日号

 1期目の幹事長として田中角栄の前に立ちはだかったのは、佐藤栄作首相が沖縄の返還とともに戦後未処理問題として最重要視したもう一つの日本と韓国の国交正常化を審議する臨時国会、すなわち「日韓国会」をどう乗り切るかであった。

 日韓基本条約の調印そのものは、この年(昭和40年)6月22日に日韓両政府の間で行われていた。しかし、これに対し韓国国民の中からはこの条約調印を「屈辱外交」として反発の声が少なくなく、日本国内でも社会党、共産党を中心に「これでは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の存在を否定し、朝鮮半島統一への阻害となる」との反対の空気が強かった。7月、こうした中で日韓条約等関連案件を承認するための臨時国会、「日韓国会」が開かれた。
 この臨時国会では、審議紛糾の中、自民党は単独審議も辞さずの上で採決、条約批准への準備を整えたが、与野党間折衝の余地もあるとしていったんこの臨時国会を閉めることとした。しかし折衝は難航、政府・自民党は10月に改めて臨時国会を開き、ここでの決着にハラをくくったのであった。

 田中幹事長のここでの国会運営ぶりはどうだったか。持ち前の野党へのパイプを駆使、妥協点を探ったが不調、一転ここまでと見定め、強引な手法に転じたのであった。衆院の日韓条約等特別委員会では自民党単独で採決、日韓基本条約を承認、合わせて関係3議案の可決に踏み切った。さらに、衆院本会議でも抵抗する野党を尻目に、本来、行われる特別委の委員長報告も省略、自民党単独で可決成立へ持っていったのだった。
 参院審議もまた同様で、田中幹事長のハッパのもと、本会議では他の野党は欠席ながらようやく民社党を口説いて出席させ、辛うじて自民党単独採決を避けて12月11日、可決成立へ持っていった。この混乱極まった国会は衆院の正・副議長が引責辞任という形で、まずはの収拾を見ることになったのだった。

 この一連の強引な国会運営をした田中の胸中は、どういうものだったのか。秘書だった早坂茂三(後に政治評論家)には、次のように打ち明けたとされる。早坂の著書にある。
 「田中は私に、『衆院における社会党の常識を超えた審議妨害は、もはや議会政治と言えるものではなかった。日韓の国交正常化は国民の多くが支持し、日本としても解決しなければならない宿命的な課題である。私は政権政党としての責任を果たしただけだ』と語った」(『政治家田中角栄』中央公論社)

 そうした一方で、田中の中には、この「日韓国会」に佐藤政権の命運が懸かっている、またこの成否が天下取りに密かに思いを致す田中自身の正念場でもあるとの二つの認識も、強く働いていたと思われる。
 その後、佐藤首相はこの「日韓国会」を乗り切ってみせた田中のラツ腕ぶりを買い、翌昭和41年8月の改選人事で田中の幹事長留任を決めた。
 しかし、田中幹事長の2期目は、わずか4カ月の短命で終わることになった。閣僚および自民党議員らによる世に言われた「黒い霧事件」の勃発、よもやのスキャンダル続出によるものであった。

 田中が幹事長に留任する直前、それまで何かとキナ臭さが言われ「刑務所の塀の上を歩く男」とのカゲ口もあった田中彰治という自民党衆院議員が、国際興業社主・小佐野賢治から1億円を恐喝、詐欺容疑などで逮捕され辞職した。
 前後して運輸相・荒船清十郎が「一つくれぇいいじゃないか」の“迷文句”で国鉄ダイヤ改正で高崎線の急行列車を自分の選挙区内の埼玉県・深谷駅に停車させるよう原案を改めさせたことも発覚。また農相・松野頼三(民進党松野頼久代議士の父)が新婚の娘夫妻らと一緒に外国を「官費旅行」していたなど、何とも緩み切った“事件”が続発したということだった。
 さらに共和製糖グループの政治家絡みの不正融資事件なども明るみに出、国民の信頼が大きく失墜したのであった。

 こうした一連の不祥事続出の中で、11月には臨時国会が召集された。これは「黒い霧国会」と呼ばれた。野党は冒頭から審議拒否、「衆院を解散、総選挙で国民に信を問え」の大合唱であった。しかし、この時、総選挙となれば自民党惨敗は明白、佐藤首相が野党の矛先をかわすには大幅な改造人事しか道は残っていなかった。
 佐藤首相は12月1日、ついに党役員を更迭、川島正次郎副総裁とともに苦渋の決断で田中幹事長のクビも斬った。次いで、3日には内閣を改造、辛くもトカゲの尻尾切りで政権の危機を乗り切ったのだった。幹事長更迭が決まった直後、田中は「今回の一連の不祥事に、直接、何も関係ないのに責任を取らされるのは納得ができない」と憤る取り巻きにこう言った。
 「いいんだ。佐藤政権の泥はオレが全部かぶるんだ」
 この言葉の裏には、時に佐藤派の「台所」、すなわち派閥維持のため諸々の資金集めを一人で背負っていた田中の深謀遠慮がうかがえたのである。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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