菜乃花 2018年10月04日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第61回

掲載日時 2017年03月27日 14時00分 [政治] / 掲載号 2017年3月30日号

 自らの金脈問題を指弾されて無念の首相退陣。しかし、肩の荷を降ろした感のあった田中角栄に退陣からわずか1年余、再び雷鳴が轟いた。

 昭和51年2月6日、突然、米国から意外な事件の第一報が飛び込んできた。米国上院外交委員会、チャーチ小委員会の公聴記録が公開されたということだった。「(航空会社)ロッキード社が日本の自衛隊にP3C対潜哨戒機を、そして、全日空にトライスター機を売り込むために、30億円にも上る巨額の工作資金を右翼の児玉誉士夫や丸紅を通じて日本の政府高官に流した」とするものであった。史上名高いロッキード事件の幕が開いたということだった。
 その後、ロッキード社の前副社長(当時)コーチャンが、カネの渡し先として児玉、国際興業社主の小佐野賢治、丸紅の伊藤宏専務の実名を挙げたことで、日本の政界に激震が走った。それらの人物から日本の政府高官複数にリベートが支払われたということであった。

 当時、開会中の通常国会は「共産党委員長スパイ査問事件」で沸いていたが、このコーチャン証言が飛び込んできたことから状況は一変、国会はロッキード事件一色に染められた。国会は病気を理由に入院した児玉を除き、小佐野らを証人喚問したが、いずれも「記憶にございません」の一点張り、予算審議は空転した。「記憶にございません」は、流行語にもなったのである。
 4月10日、ロッキード事件の日本関連資料が米国から日本に運ばれ、全文2860ページにわたった対日不正工作調査資料の中に、丸紅から5億円のリベートを受け取ったとされる政府高官名として田中角栄を意味する「Tanaka」が挙げられた。疑惑の中心となった田中は、これを機にメディアからの一斉攻撃を受けることになったのだ。

 そうした中で、かねて田中の「金権体質批判」の声を高めていた三木武夫首相は、事件解明に異常とも言える執念を見せた。わざわざ時のフォード米大統領に調査資料の提供を書簡で要請、「徹底して真相を究明する」とも語ったものである。長く政界を牛耳ってきた田中をつぶすチャンスと見たということだった。この三木の姿勢を、国民とメディアは高く評価した。
 しかし、自民党内は違っていた。田中派ら反主流派を中心に「三木は自分1人いい子になろうとしている。はしゃぎ過ぎだ」と反三木感情が高まり、やがて「三木おろし工作」という具体的行動が表面化していった。裁定により三木首相を誕生させた椎名悦三郎副総裁も、「オレは三木の産みの親。であれば、責任をもって国会終了後に三木を退陣させる」と息巻き、時の大平正芳蔵相、福田赳夫副総理と相次いで会談、共にその線での合意をみた。大平は田中の「盟友」、一方の福田は三木の“後釜”狙いの意欲が強かったのである。
 しかし、三木は「自分に課せられている使命は放棄することは絶対にない」と引き続きの政権担当の意思を表明、自民党内の対立は深刻度を増していった。

 7月27日、そうした中で東京地検が外為法違反容疑で田中を逮捕という衝撃的事態に発展した。これに対し、法律専門家の中からは「外為法での逮捕は別件逮捕であり、しかも、外為法という形式的行政犯で首相経験者を逮捕というのは大きな疑義がある」との声も出た。しかし、例えば新聞各紙の「腐臭放つ金権体質」「“金権政治”に司法の断」といった報道に、こうした声はほとんどかき消された感があった。
 逮捕当日の朝、目白の自宅を訪れた東京地検の豊島検事正に向かい、「武士の情けだ。ちょっと待ってくれ」と田中は言った。家人に用箋と万年筆を持って来させ、「離党届 衆議院議員 田中角栄」と記し、「これを自民党本部に届けるように」と指示した。また、地検に向かう車の中で、隣に座る検事に「総理大臣経験者で逮捕されたのは何人目か」と尋ね、検事が「在職中の罪では初めてです」と答えると、田中は「この日のことは忘れないでくれ」と言い、「歴史に残るようなことですから、忘れることはありません」と言う検事の返事に軽くうなずいたとの証言がある。

 東京拘置所での取り調べは午前9時ないし10時から始まり、夜は午後9時ごろまで続けられた。その間、田中は一貫して事実関係を全面否認した。取り調べのさなかの、こんなエピソードもある。当時を取材した社会部記者の証言である。
 「汗っかきで鳴る田中に、取り調べ検事が見かねてハンカチを手渡した。田中はそれをしまい、保釈後、きれいに洗ってアイロンをかけ、その検事に返した。取り調べ中は毅然として答え、検事をして『前首相としての威厳を崩すことは一切なかった』と言わせた」

 逮捕から20日経った8月16日、東京地検はついに田中を外為法違反と受託収賄罪で起訴した。この時点から、田中は前首相の立場が一転、刑事被告人に追いやられ、長い法廷闘争を強いられることになるのだった。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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