葉加瀬マイ 2018年11月29日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第24回

掲載日時 2016年06月26日 15時00分 [政治] / 掲載号 2016年6月30日号

 戦後初の30代大臣、時に39歳の田中角栄郵政大臣は「あの若造が…」とベテラン議員を中心としたやっかみにもめげず、何とも豪胆、「型破り大臣」を見せつけた。当時の郵政省は強固で鳴る全逓信労働組合(全逓)との労使関係正常化、全国43ものテレビ局への大量予備免許許可問題など、難題山積の役所であった。

 大臣就任翌日、郵政省に初登庁した田中は、まず正面玄関先で足を止めると、こんな登庁第一声を発した。「なんだッ、これは、大家よりデカイ看板を出す奴があるか!」
 ワケは、郵政省の看板の隣にこちらよりやや大ぶりの「全逓」の看板がかかっており、大臣としては「大家よりデカイ看板」がかかっていることに違和感があり、気にくわなかったということだった。「全逓」の看板は、間もなく郵政省のそれより小ぶりのものとなった。

 また、初登庁の郵政省職員を前にしての就任スピーチでは、「ワシはね、1回大臣になれば、明日辞めても悔いはないですヨ。諸君、これからはすべからく話し合いで行こうではないかッ」とブチかまし、その後の幹部との懇談の席でも「どうかね、諸君のこれまでの歴代郵政大臣の評価は?」と口にして、官僚たちのド肝を抜いた。官僚が歴代大臣の評価などは、口が裂けても言えるわけがない。省内を駆け巡った「相当な型破り大臣」との評は当然だったのだ。

 それから間もなく田中の選挙区の地元紙『新潟日報』(昭和32年7月15日付)のインタビューに答えては、大臣としての抱負など何とも意気ケンコーにブチまくっている。自信に満ちあふれた人生観を交えつつの「角栄節」は以下のごとし。読者諸賢、しばし“ご拝聴”を。

 「(郵政大臣の抱負については)そういうものは持ってないですナ。大体、郵政大臣にはなりたくなかったんだから。総理からは『それなら労働大臣、自治庁長官は』と言われたが、いずれもイヤだと言って、結局、郵政となったんだ。抱負、経緯を述べるとすれば、もう1週間待ってもらいたい。今、郵政省の幹部に、郵政省のボス、戦後の衆参両院の逓信委員で特に立法に関係した人、俗に言うウルサ型でなく、すんなりした人の名前を挙げてくれと言っておる。テレビ免許の陳情もたくさん受けたが、これは全く白紙です。前大臣からの事務引き継ぎも握手だけで、向こうがつくった書類は机の引き出しに入れてある。いいものは取るが、タチ割るべきものはタチ割るつもりですよ」

 「大体、労働政策というものはだナ。演説をブッた、壁にぶつかったから仕方がないということじゃあ、労働政策にはならんのです。ところでねェ、実は私は労働組合というものにかなりの好意を持っておるつもりですよ。もっとも一番に敬意を表しているのは記者クラブの諸君ですがね(笑)。
 大臣認証式の翌日、私は早速全逓の諸君と話し合いましたよ。『私は若いから、要らざる闘争は努めてやらぬことにしておる。ただでさえ、ファイトが盛んだから』と言った。が、『若いからといって、またシロウトだからといってナメてはいかんッ』ともやっておいた。それから、『全逓は名誉ある秩序正しい組合と承知しておる。その名誉ある全逓が経済闘争の範囲内で要求するというのなら、私も赤旗の前に立とう』とやったんです。まァ、和気アイアイのうちに、帰りには拍手で送ってくれましたよ。逃げ腰の大臣はざらだが、進んで組合に出掛けてきた大臣は珍しいそうです。もっとも『いいことばかり言ったようだが、君らの言うことも国家の立場でガマンしてもらわねばならんこともある』と付け加えるのは忘れなかったですがね」

 「まァこれまでの私の人生観は10代、20代、30代と分けて説明しなければならないですね。まず10代では、『大仕事を遂げて死なまじ。熱情の若き日はまたと来はせじ』というもので、これは小学校6年のときに年賀状で友人に書いた。20代は、『末ついに海になるべき山水も、しばし木葉の下くぐるなり』だった。これが30代となると、『岩もあり木の根もあれどさらさらと、たださらさらと水の流るる』となったが、さて40代はどうなるかだ」

 田中が郵政大臣就任時、すでに田中と二人三脚の政治活動に入っていた後の「越山会の女王」佐藤昭子は、娘を出産することで田中事務所の秘書を休業中だった。しかし、大臣就任翌年に公設の第1秘書として復帰した。その佐藤は、筆者にこう言ったことがある。好きな男への鼓動も伝わってくるのである。時に、佐藤29歳。「男はよくしかるべき地位に就くとそれらしく変わるものだというけど、田中も大臣のイスに座って一回りも二回りも大きくなったように感じた。私は口には出して言わなかったが、男っぷりが増したと思う一方、よく努力してここまで来たなと畏敬の念が強くなったのを覚えていますね」

 田中はしゃかりきになって仕事をした。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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