葉加瀬マイ 2018年11月29日号

本好きリビドー(107)

掲載日時 2016年06月05日 18時00分 [エンタメ] / 掲載号 2016年6月9日号

◎快楽の1冊
『大岩壁』 笹本稜平 文藝春秋 1600円(本体価格)

 小説を読む快感の中には、疑似体験がある。一個人があらゆるすべての体験をできるわけがなく、けれども、やっぱりできる限りいろんな体験をしたい、という欲求が生まれるのは極めて自然なことだ。
 本書『大岩壁』は山岳小説である。山登りの男のロマンを描いている。もともと本書の作者、笹本稜平は2001年に『時の渚』で第18回サントリーミステリーの大賞と読者賞を得てデビューした作家である。その後、'04年に第6回大藪春彦賞を受賞した。
 主人公はかつて、山登りで仲間を失った経験があり、その喪失感を引きずっていた。しかし40代後半を迎えて一念奮起し、外国の大きな山に登ろう、と決意する。
 山登りと言えば、高村薫が登山を趣味にしていることは有名で、その体験を作品に活かしている。樋口明雄は実際に都会から離れた地方に住んでいて、その日常をもとにして多くの作品を書いている。また別の例を言うならば、俳優の小野寺昭も登山が趣味である。
 本書『大岩壁』は笹本にとってお手のものの山岳小説で、まことにスリリングである。かつて一緒に山に登り、しかし、死んでしまった友人の親類との交流が、主人公の山に登る意志を後押しし、実際に海外の難所に挑むわけである。
 笹本稜平はしっかり山のことを知っている作家であろう。山登りに伴う危険、死に直面する恐怖を知っている。
 ミステリー小説、冒険小説を専門にしてきた作家が、山岳小説も書くようになるのは当然のことだと思うのだ。なぜか、山登りが、俺は死ぬかもしれない、という危機意識を伴うものであるからだ。
 動物は絶対、死ぬ。人間もそうだ。ところが人間は不思議なことに、死をエンターテインメントとして味わう。このあたりのサスペンスをぜひ味わってほしい。(中辻理夫/文芸評論家)

【昇天の1冊】
 時代が平成に移った頃から、「売春」という言葉はめっきり使われなくなった。変わって登場したのが「エンコー」だ。「援助交際」と言葉を変えれば「売春」の悪印象が多少は和らぐだけで、売春には違いない。JKや主婦までが、この売春の担い手となった。
 しかし、かつて日本には「娼婦」と呼ばれる、売春を専門の職業としていた女たちがいた。フリーライターの松沢呉一氏の著書『闇の女たち 消えゆく日本人娼婦の記録』(新潮社/853円・税込)は、戦後日本の路上で客を引き、今は街から姿を消した女たちの素性に迫ったドキュメンタリーである。
 北は札幌から、東京・鶯谷、大阪・天王寺、神戸、広島、博多など、全国各地の娼婦18人へのインタビューが掲載されている。いずれも1990年代末から2000年初頭、現役で娼婦をしていた女たち。おそらく、街頭で営業していた娼婦の最後の生き残りたちだろう。
 通称“ポン引き”といわれた彼女たちのヒモも登場し、女と男が、なぜ、闇の職業に就いたのか、その人生模様をつづる。
 1990年代末といえば、バブル崩壊後の失われた10年の末期にあたる。つまりこの著書は、不況が長期化していた時代に、底辺を生きた人々の証言といえよう。
 娼婦がマスコミの取材を受けるなど、一切あり得ない。そこを折衝し、素顔を引き出した、著者の粘り強さがしのばれる労作だ。
 戦前、戦後にまたがる「日本街娼史」も併せて掲載。読み応えのある1冊だ。
(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)

関連タグ:本好きリビドー

エンタメ新着記事

» もっと見る

本好きリビドー(107)

Close

WJガールオーディション

▲ PAGE TOP