菜乃花 2018年10月04日号

真夏の特別読み物 幕末志士たちの「精力絶倫」知られざる性豪列伝〈桂小五郎〉

掲載日時 2018年07月25日 22時00分 [エンタメ] / 掲載号 2018年8月2日号

 長州藩の藩医の子として生まれた桂小五郎(のちの木戸孝允)は、西郷隆盛、大久保利通と並ぶ維新三傑の一人に数えられる。吉田松陰の松下村塾で尊皇攘夷の精神を学び、明治維新後は参議となって、版籍奉還や廃藩置県などさまざまな改革を行った。
 「まさに明治新政府を代表する政治家ですが、一方で桂は“逃げの小五郎”という異名も持っていました。若い頃、江戸に出て練兵館という道場の塾頭にまでなるのですが、身の危険を感じるといつの間にか姿を消してしまう。それは女性関係に対しても同様だったようです」(前出・歴史雑誌編集者)

 桂は27歳の時に結婚するが、半年ほどで離婚。そして、京都三本木の芸妓・幾松と出会う。武家生まれの清楚さがただよう美女だったとされ、初めて座敷で幾松を見た桂は一目惚れし、身請けしようとした。
 「しかし幾松は、すでに近江屋伝兵衛という商人が身請けすることが決まっていた。そこで桂の弟分の伊藤博文が、伝兵衛をなんと刀で脅して手を引かせたとされます」(同)

 邪魔者がいなくなり、2人の恋は燃え上がるが、元治元年(1864年)の禁門の変で長州藩は幕府軍と戦い敗北する事態となる。長州藩は朝敵となり京都から追い払われた。
 桂も但馬の出石(現在の兵庫県)へ逃亡、名前を変えながら潜伏した。
 「しかし桂は、そこで静かに過ごしているような男ではありませんでした。広戸家の世話になるのですが、なんと三女のミネ(16歳)に手をつけたのです。また、この頃、桂は酒色に溺れ城崎温泉まで出向いて芸者遊びを繰り返したという。その芸妓の一人が身ごもり、さらに投宿先の一人娘にまで手を出し妊娠させたのです」(同)

 そんな時に、京都から幾松が訪ねてきた。最悪の事態と桂は思ったのか、ついに観念して長州に帰国。名前を木戸孝允と改め一緒に生活を始めた。
 そして明治維新後に幾松と正式に結婚し、幾松は名を「木戸松子」と変えている。
 「しかし、木戸の女遍歴はさらに続く。ある時、松子の妹が遊びに来て木戸の家に泊まっていると、その彼女にまで手を出したのです。さすがの幾松も怒り心頭で、『返すがえす木戸を恨みます』とした手紙が残されています」(前出・近世研究家)

 明治4年(1871年)、木戸は岩倉使節団の副使となって、1年半欧米を視察して回った。洋行から帰ると木戸は、祇園一と謳われた絶世の美女、江良加代に入れ上げたという。
 そして明治10年(1877年)、病に倒れて亡くなり、ようやく女遍歴は終了したのだった。

関連タグ:真夏の特別読み物

エンタメ新着記事

» もっと見る

真夏の特別読み物 幕末志士たちの「精力絶倫」知られざる性豪列伝〈桂小五郎〉

Close

マダムとおしゃべり館

▲ PAGE TOP