菜乃花 2018年10月04日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第59回

掲載日時 2017年03月13日 16時00分 [政治] / 掲載号 2017年3月16日号

 政権の崩壊は、田中角栄にとっては意外な方向からやってきた。土地や物価の暴騰による日本列島改造論に対する反発の一方でのスキャンダルの勃発であった。
 昭和49年10月10日発売の月刊誌『文藝春秋』11月号が「田中角栄研究〜その金脈と人脈」「淋しき越山会の女王」の2本を特集記事として掲載した。前者は日本列島改造論の裏で田中ファミリー企業が土地転がしなどの不透明などがあるとし、後者は田中の秘書にして愛人だった佐藤昭子の生い立ち、田中との関係過程を記したものだった。とりわけ、世間の耳目を集めたのは前者であった。
 すでに発売前にゲラを入手していた田中サイド、田中派内はテンヤワンヤとなった。二階堂進、江﨑真澄ら最高幹部、小渕恵三、橋本龍太郎といった中堅幹部らが次々に田中事務所にやって来、中には「われわれがついているのにこんなことになって申し訳ない…」と、佐藤昭子に頭を下げる者もいた。

 10月28日、こうした中で田中はかねて予定されていたオーストラリア、ニュージーランド、ビルマ(現・ミャンマー)の3国外遊に出発した。その直前の25日、田中は幹事長だった二階堂に、最後の窮地脱出を懸けたかのように「帰国したら内閣改造を行う。党内の取りまとめを頼む」と指示する一方、前尾繁三郎衆院議長、河野謙三参院議長に立て続けに会い、胸中の苦しみを訴えた。
 ところが、河野がこの会談後に記者団に話したことが、田中の首相辞任を決定的に方向づけた格好になった。河野は、田中が「(決まっていた11月18日のフォード米大統領の訪日は)自分が頼んだことだから、自分が迎えなければならない」と語ったことを胸に、記者団に「総理は元気な様子であったが、現在の政局を深刻に受け止めているのは間違いない。私の見たところ、ハラは固まっているようだ」と話したからたまらなかった。翌10月26日の新聞各紙朝刊は一斉にこの田中・河野会談をトップに掲げ、「首相、辞任表明か」の活字をデカデカと躍らせたのである。これが、最終的に田中の闘志を砕いたということでもあった。
 それは、秘書の佐藤昭子に「(3国外遊から帰国したら)衆院を解散するかも知れない。一応、用意をしておいてくれ」と田中派議員への選挙資金手当てなどの指示をしていたのだが、帰国後「解散はやめた」と申し渡したということでも明らかだった。また、同様に外遊前に二階堂に指示した「内閣改造の準備」も、この意向を聞いた反田中の福田赳夫、三木武夫らは極めて冷淡。三木などは「延命策にすぎない。大義名分に乏しい改造は派として協力できない」と突っぱねたなどの背景もあった。
 人心はすでに、田中から離れていたのである。

 それでも、田中はどうにかこの内閣改造を成し遂げたものの11月18日のフォード大統領来日、応接を果たした後の11月26日、ついに無念の退陣を表明した。
 その心境を吐露した「私の決意」と題された辞任声明文は、竹下登官房長官により代読された。以下、全文――。
 「私は、フォード大統領の来日というわが国にとってまさに歴史的な行事がつつがなく終了し、日米友好の基礎が一段と固まったこの機会に、内閣総理大臣および自由民主党総裁を辞任する決意をいたしました。
 政権を担当して以来、2年4カ月余、私は決断と実行を肝に銘じ、日本の平和と安全、国民生活の安定と向上のため全力投球を続けてまいりました。しかるところ、最近における政局の混迷が、少なからず私個人に関わる問題に端を発していることについて、私は国政の最高責任者として、政治的、道義的責任を痛感しております。
 一人の人間として考えるとき、私は裸一貫で郷里を発って以来、1日も休むことなく、ただ真面目に働き続けてまいりました。顧みまして、いささかの感慨もあります。しかし、私個人の問題で、かりそめにも世間の誤解を招いたことは、公人として、不明、不徳のいたすところであり、耐え難い痛苦を覚えたのであります。私はいずれ真実を明らかにして、国民の理解を得てまいりたいと考えております。
 いま、国の内外には緊急に解決すべき課題が山積しております。政治には瞬時の低迷も許されません。私が厳粛にかつ淡々として自らの退路を明らかにしたゆえんもここにあります。わが国の前途に想いをめぐらすとき、私は一度、沛然として大地を打つ豪雨に心耳を澄ます思いであります。
 自由民主党は、1日も早く新しい代表者を選出し、一致団結して難局を打開し、国民の負託に応えるべきであります。私も政治家の一人として、国家、国民のため一層の献身をいたす決意であります」

 田中は代読する竹下の姿を、秘書官らに囲まれながら首相官邸執務室のテレビでジッと凝視していた。目からは、涙が数行流れ落ちていたという。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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