彩川ひなの 2018年7月5日号

天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 田中角栄・はな夫人(下)

掲載日時 2017年10月02日 15時00分 [政治] / 掲載号 2017年10月5日号

 自宅を一歩出ると政治の権力闘争に明け暮れ、一方でノビノビと「女遊び」などの“私生活”を満喫する田中に対して、妻・はなは家庭を守ることに徹した女性であった。
 「田中の初出馬から、一度として応援に選挙区(旧新潟3区)に入ることはなかった。女性票獲得には奥さんが顔を出してくれることが一番強いのだが、後援会幹部も諦めていました。田中も、そうしたことは一切関わらなくていいと奥さんに伝えてあったことによります。田中の母親のフメさんが亡くなってからは、法事には必ずいらっしゃるが、終わるとすぐ実家の2階にこもってしまうなど、我々と話すこともまったくなかったのです」
 政治絡みのことはもとより、とにかく外部との接触は“ノー”に徹していたと、強大無比を誇っていた田中の後援会『越山会』の幹部は、このように証言していたものだ。

 そうしたはなの心境が窺える、雑誌に発言した一文がある。
 田中が39歳で、郵政大臣になった昭和32年の弁である。自己主張を譲らぬ昨今のカミサンとは一味変わり、“含蓄”がある。
 「男が外回りするときは女は家の中、女が出歩くときは男は家で留守番、昼寝と決まっているんだと主人がよく申します。私は娘時代、箱入りと言われたほど外出せずで世間知らずでございましたが、妻の座にすわってからも、また子供の母となった現在も、そうした考えは少しも変わりません。
 主人は私に、結婚のときからお互いの責任を次のように明確にしております。仕事の責任は主人、掃除と戸締りの責任は私、子供の教育は二人の責任でございます。主人は、『仕事のことはお前には分からなくていい。仕事や実社会は苦労が多いものだ。お前が仕事の内容を知っても、苦労するだけで得はない』と、結婚当初から言っております。スピーディな生き方の主人とあまりハキハキしない私との家庭ですが、あまりケンカもありません。『自然の姿が一番いい』と主人はいつも言いますし、私もその意味が分かる年頃になりました。世間一般には通用しない型ではありますが、幸福でございます」(『婦人公論』より)

 一方、田中は首相になる前の外遊にはこうした妻を同伴せず、ほとんど一人で行ったものだが、そのあたりを見ていた娘の田中真紀子(元外相)が、こんなエピソードを披露している。
 「汗っかきの父は、ちゃんと汚れ物の下着と、ワイシャツを別々のビニール袋に入れて帰って来ていました。ところが、首相になっての初の日米首脳会談だけは、母も私も一緒に行きました。このときはあれほどキチッとしていた父が、靴下は母にはかせてもらうし、年上女房というより、年下亭主を満喫していたみたいでした。
 一方で、母をファーストレディとして同伴したものの、父はまるで母への気遣いはなく、さすがに母は『私のことも少しは気を遣って下さいよ』と言ったものですが、父いわく『政治家のオレはこの国に戦争に来ているんだッ』と、真顔で言ったのを覚えています」
 ここでは、何事も全力投球、真剣勝負だった田中の政治姿勢も窺えたのだった。

 田中は首相に就任する約1年前、自らの議員生活25年を祝うパーティーに出席した。
 その挨拶で、それまで公の場で妻のことに一度として触れたことはなかったが、いかにもテレ臭そうに初めてこう“謝意”を口にしたのである。
 「今朝、家を出る前に言ったんです。『大変、ご苦労だった』と、女房に頭を下げたのであります。そしたら、エプロン姿で台所にいた女房が、エプロンを取って言ったんですナ。『あなたこそ、本当にご苦労さまでした』と」

 波乱の多かった政治家人生を振り返って、あるとき田中は側近議員にこう口にしたことがある。
 「オレがいろいろ苦境を持ちこたえられたのは、家族が塞がずにいたからだ。そうでなければ、オレはとっくに潰されていたかも知れんな」

 はなのファーストレディ2年余は、田中に巻き起こった金脈・女性問題のスキャンダルの集中砲火を浴び、嵐の中で通り過ぎた。首相退陣後も、ロッキード事件での嵐が吹きまくった。田中の華やかだった女性関係も含め、51年に及んだ結婚生活は、はなにとってはある意味で田中以上の激動の歳月と言えた。
 そうしたはなを、娘の真紀子は「結局、母は優雅なんです」と評した。また、はな自身は、端から見れば“我慢の一生”ではあったが、言葉少なにこう振り返ったものであった。
 「お父さんに対して我を張らないこと。それだけを心がけてまいったつもりです」

 日本にとっては、終生、頭の上がらなかった「静かなる猛妻」と言えたのではないか。
=敬称略=

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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