菜乃花 2018年10月04日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第55回

掲載日時 2017年02月10日 10時00分 [政治] / 掲載号 2017年2月16日号

 「決断と実行」をウリに内閣発足から間を置かずに懸案の「日中国交回復」をやり遂げた田中角栄は、これに並行してすでにもう一つの政策課題に挙げていた“格差のない社会”を目指す「日本列島改造計画」の実践に着手していた。首相の私的諮問機関「日本列島改造問題懇談会」を発足させ、「角福総裁選」に向けて発表していた持論「日本列島改造論」に基づきながら、その改善に着手したということだった。

 時に、高度経済成長の真っただ中にあり、物価上昇、公害、人口の過疎・過密など、さまざまな弊害が深刻化しだしていたことによるこの「列島改造懇」は、工場を過密な都市から過疎の寒村に移動させて労働力を過疎地帯に呼び戻す、日本列島全体を新幹線や高速道路などの交通ネットワークで結び地方に工業を興す、人口25万人規模の中核都市を全国に作りその都市を中心として公害のない住みよい空間を作るなどとまとめ、田中に提言したのだった。
 田中は直ちに工業再配置計画に動き、工場移転促進地域を指定する促進法を政令で制定した。促進地域を東京を中心とする首都圏、大阪を中心とする近畿圏、名古屋を中心とする中部圏などの34地区を過密地帯と定め、逆に工場を誘致すると補助金が出る優遇措置が受けられる誘導地域に、北海道、東北、北陸、九州から27地区を指定した。ために、特に促進地域の地価は平均で18%上昇、誘導地域では軒並み20%を超え、合わせて東北新幹線や東北縦貫道路の計画も手伝って、例えばその“沿線”となる岩手県盛岡市などは実に40%近くの地価暴騰を見たのであった。

 こうした中で、田中は「日中国交回復」の余勢とこの工業再配置計画に自信を見せ、この年11月、衆院の解散に打って出た。
 しかし、田中の思惑とは異なり、12月の投開票で自民党は前回総選挙の300議席を大きく割り込み公認候補の当選271、無所属当選11人を入党させて、かろうじて282議席を確保したが、この271という数字は昭和30年11月15日の自民党結党以来、最低のそれであった。
 ちなみに、この選挙で田中は延べ1万キロを率先遊説、33万人近くに語りかけたものであった。意気込みは知れたのである。

 よもやのこの総選挙敗北が決まった直後、田中は首相就任後初のお国入りをした。新潟県長岡市では、それでも次のような強気の演説をブッたのである。
 「仕事をすれば、批判が起こって当然なんですッ。何もしなければ、叱る声さえ出ないッ。信濃川に橋を架ける場合でも、『架ける、架ける』と言っている段階ではみんなに喜ばれるが、いざ架けてみると下流の人からは『上流に架け過ぎた』、今度は下流に架ければ上流の人が同じことを唱える。皆さん! ですから学者の中には、『田中さん、せっかくの田中ブームを長続きさせるためには、あまりせっかちに仕事をしない方がいいですよ』などと言ってくれる人もいるんです。しかし、ムードで政治はできんッ。どうか、これから私の人気が悪くなったら、『ああ田中は仕事をしているんだ』と、まぁこう思っていただきたいのであります!」

 この強気の言葉通り、田中はなお「仕事」に手を緩めることはなかった。選挙から日を置かずの昭和48年度当初予算案は「列島改造予算」と言われたように、大盤振る舞いの積極財政策が取られた。新幹線、道路など公共投資を前年度比34%増、14兆2800億円を計上、とりわけ新幹線予算を握る運輸相、道路予算を握る建設省(後に両省は現・国土交通省に再編)はウハウハ、田中総理サマサマで、同時に両省はさらに「田中官庁」の色合いを強めることになったのである。
 しかし、総選挙敗北後、年が明けて通常国会に入ると、あの明朗闊達で鳴っていた田中の表情が一変するようになった。口数は少なくなり、周囲にはピリピリした空気が漂った。首相になったことで政務は官邸のみとなり、派閥や個人事務所に立ち寄る議員も、まためっきり少なくなった。それでも、夕方になると田中は必ず個人事務所に立ち寄り、好きなオールド・パーの水割りを口にした。「国の運命を左右する決断を1人で下さなければならない孤独感が、ヒシヒシと伝わってきた」と、秘書の佐藤昭子が後日、筆者のインタビューに答えてくれたものだ。

 これは余談だが、田中の前任の首相だった佐藤栄作は官邸に隣接する公邸住まいをしていた時期があったが、筆者は妻・寛子へのインタビューで、“総理の孤独”についてこう聞いたことがある。
 「深夜、一つの座敷だけに電灯がついている。覗いてみると、栄作が背中をこちらに向けて1人トランプ占いをやっていたのです。ゾッとした瞬間でしたが、それくらい総理は緊張感を強いられ、孤独なんです」
 あの田中にして、その孤独感が知れたということである。一方で、孤独感の背中を押していたのは、はやジワリ「田中ブーム」に陰りが出始めていたことでもあったのだった。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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