森咲智美 2018年11月22日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第60回

掲載日時 2017年03月20日 14時00分 [政治] / 掲載号 2017年3月23日号

 「ボヤだと思っていたんだが、まるでヤマトタケルノミコトが枯れ野で火に囲まれたようなものだ。クサナギノツルギを振り上げれば血路を開けんこともなかったが、世の中にはできることとできないことがある」
 首相官邸執務室で自らの首相退陣声明を代読する竹下登官房長官の姿をテレビで見詰めていた田中角栄は、代読が終わると傍らにいた秘書の早坂茂三にそれとなくこう語り掛けた。立ち直りの早いのも田中の持ち味の一つ。区切りがつけばいつまでもそれに拘泥しない。切り換えは、めっぽう早いのである。退陣から約1カ月、昭和49年暮れの田中派忘年会の席上、固い表情で見守る同派議員を前に田中はこうあいさつした。
 「田中角栄であります。今年は皆さんに大変なご迷惑をかけました。人間にはよい年もあり、悪い年もあるッ。しかし、私には今年は必ずしもよくなかった。皆さんッ、将来の日本はね、決して昨年の石油ショック以来、ずっと低迷しているような国ではありませんよ。
 まぁねぇ、私は総理を辞めて、1カ月で体重は5キロも増えたんだ。あんまり太るので、今年から3食を2食にして朝メシをやめましたが、まだ太る。それだけに、“総理大臣は大変な職責だったんだなぁ”と思います。まあ、とにかく皆さんのご支援とご理解で2年半にわたり内閣を務めさせていただいた。私は(大蔵大臣就任以降)12年間ずっと走り続けてきたが、たまには休まねばいけません。家の中を治められないということでは、自ら責任を取るほかはない。皆さんも“田中というつまらん奴を友人に持った”と、えー、自らの不明をもって許していただきたい。
 私はね、もはや芸者を辞めて、女中頭になったようなもんだ。いったん座敷を引いたからには、再び出ることはないッ。そうはいかんのです」

 さて、田中が退陣を表明したことで、自民党内の「ポスト田中」を巡る動きはがぜん激しくなった。有力候補は、常に田中とライバル関係にあった福田赳夫と、田中の「盟友」である大平正芳の二人。“胸中”は、もとより大平である。
 田中の思惑は、総裁公選にあった。田中派は「反福田」で固まっている。これに大平派、さらに一方の雄であった三木武夫率いる三木派の中には福田と相入れない議員が少なくなく、総裁公選なら大平の勝利は間違いなしと確信していた。
 しかし、総裁公選では不利を読んだ福田は、公選になればまたぞろカネが飛び交い、派閥対立が激化するという理由でこれに反対、あくまで話し合いでの選出を主張して譲らなかった。公選なら、党を割って出ていくという動きも見せていた。三木派からも、また公選なら新党結成に踏み切るとの声が出ていた。

 結局、公選か話し合いかの党内意見は二分してニッチもサッチもいかず、最終的に党分裂を回避するには話し合いしか道なしとなり、調整役として党の長老、椎名悦三郎副総裁を決めた。
 椎名は11月30日(昭和49年)、自民党本部で4大派閥の代表者を集めた「5者会談」を持ち、「今夜もう一晩真剣に考え、私なりの結論を出す」と述べて会談を閉じた。
 翌12月1日、改めての「5者会談」で椎名は、次のような自らの裁定文を読み上げたのだった。
 「もはや議論の必要はない。新総裁を私が選定させていただく。三木武夫君をご推挙申し上げます」

 当時の「椎名裁定」取材の政治部記者の証言がある。
 「実は、佐藤栄作前首相(当時)が『三木でいくしかない』と椎名に言った。これが決め手になった。佐藤はわざわざ田中角栄の目白邸に足を運び、『“椎名裁定”でいくから、どうあってものんでくれ。党分裂回避の道は、これしかない』と、田中に言った。かつて佐藤派に属していた田中とすれば、さすがにノーとは言えなかった。佐藤はその場で、裁定は三木となることを田中に伝えています」

 一方、椎名裁定で自らが田中の後継総裁に推挙された三木は、それを耳にした直後、「晴天の霹靂だ」とつぶやいた。したたかさでは人後に落ちぬ三木は、実は前夜、すでに親しい新聞記者から自分が裁定されることは知っていたのだった。
 「それを知った三木は、その夜、早くも総裁受諾のあいさつ文まで自分で書いていた。にもかかわらず『青天の霹靂だ』とは、何とも老獪な三木らしかった」(同・記者)

 後に、こうした三木を評して田中はこう言っている。
 「三木をやり手の年増芸者とすれば、福田(赳夫)も大平も女学生みたいなものだ。三木は太鼓、三味線の音が鳴り出せば、呼びもしないのに飛んでくる。年増ながら歳も考えず、尻まではしょって舞台に上がり、客の前で踊ってみせる。しぶとい。しかし、“芸”があるから生き延びる。三木がプロなら、福田はアマだな」

 なるほど、田中の後継総裁、首相の座に座った三木は、田中の手に負えぬしたたかな政治手法で突っ走るのであった。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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