葉加瀬マイ 2018年11月29日号

プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「佐々木健介」北斗晶との結婚で真の一流選手に覚醒

掲載日時 2018年07月16日 15時00分 [スポーツ] / 掲載号 2018年7月19日号

 新日本プロレスやWJでトップを張った佐々木健介だが、そのしょっぱい言動によりファンから“塩介”とけなされた時期もあった。真のトップレスラーへの劇的変化は、鬼嫁の内助の功があってのことだった──。

 「無理偏に拳骨と書いて兄弟子と読む」
 “厳しい上下関係の元で弟子を鍛える”ことを表現した古い相撲界の言葉である。今なら体罰や暴力として裁判沙汰にもなりそうだが、こうしたしごきが日常的に行われていた時代が確かにあった。
 かつての新日本プロレスの道場における稽古もまた、これに似たものだったという。
 「あまりに理不尽な厳しさから、若き日の藤原喜明はコーチ役の山本小鉄を『いつか殺してやる』と、夜中にナイフで刺す練習までしていたといいます」(プロレスライター)

 何千回ものスクワットを課すような根性論がまかり通る特訓は、いわゆる科学的トレーニングとはかけ離れており、今なら「膝を壊す」と即座にストップされそうなものだが、しかし、これによって身についたものもある。
 新日の選手に特有の、ぶ厚い肉体もその一つだ。
 「ボディービルダーとはまた違う正しい筋肉の塊で、対抗戦では他団体の選手たちが『まともに当たればそれだけで壊されるんじゃないか』と、危惧していたと聞きます。普段はプロレスを馬鹿にしている人でも間近でその体を見れば、迫力に圧倒されてとても軽口など叩けませんよ」(同)

 その代表的な1人が佐々木健介だ。長州力に憧れてジャパンプロレスに入門した健介だが、身長が低く学生時代のスポーツ歴にも目立つものがないため、長州は当初「しごいて辞めさせてしまえ」との考えだったという。
 しかし、しごきを「プロレスの稽古とはそういうものだ」と素直に受け入れた健介は、これに耐え抜き、人並み外れた肉体とパワーを手に入れた。
 のちに新日道場のコーチを務めたときや自身の道場を開いたときには、過剰な指導ぶりを教え子たちから非難されることになるが、それは健介自身が通ってきた道であり、常軌を逸した鍛錬がプロレスラーにとって必要不可欠と信じてのことだったに違いない。

 健介の素直さは、ファイトスタイルにも顕著である。直線的に攻め立てる師匠・長州譲りのハイスパート・レスリング。若手時代はそれもがむしゃらさの表れと評価されたが、中堅どころになると話は違ってくる。勝つときは一方的、負けるときはあっさりでは、プロレスの醍醐味を欠き味気ない。
 「UWFインターナショナルとの対抗戦における垣原賢人戦が象徴的で、U側の次期エース候補とされた垣原に見せ場を譲るにしても、健介はまったく試合をつくることができなかった。垣原の好き勝手にさせた揚げ句に膝十字であっさりギブアップでは、新日ファンは納得がいかないし、勝った垣原の株も上がりません」(同)
 格付け的には三銃士の次とされ、ホーク・ウォリアーのパートナーとしてパワー・ウォリアーのギミックを与えられるなど、会社からの期待は大きかったが、肝心なファンの支持が高まることはなかった。

 そんな健介の転機となったのが1995年、北斗晶との結婚だった。
 「nWoの人気に隠れがちでしたが、1997年にIWGP王座を戴冠した頃にはずいぶんと試合内容がよくなった。中でも2000年、全日本プロレスの川田利明との頂上決戦は、負けたとはいえゴールデンタイムの中継にふさわしい好試合となりました。この変化の裏には、きっと天才的なパフォーマーだった北斗のアドバイスがあったのでは?」(スポーツ紙記者)

 もっともマイクパフォーマンスにはまだ難があり、2001年にはスコット・ノートンに敗れてIWGP王座を失冠し、藤田和之に対する「正直、スマンかった」の迷言でファンからの失笑を買っている。名実ともにトップスターとなったのは、新日、WJを経て、フリーになってからのことだった。
 「所属団体のしがらみがなくなり、北斗がセコンドに付くようになったことが大きかった。レッスルワンでの長州戦や藤田とのIWGP戦(チョークスリーパーをかけている藤田の肩がマットにつき、スリーカウントで健介が勝利)など、不可解な試合もありましたが、即座に北斗が怒鳴り込むなどして責任を相手側に押し付け、健介の格が落ちることを防ぎました。本当に見事な機転ですよ」(同)

 嫁が出しゃばることを嫌がる男は多かろうが、そこは生来の素直さゆえか、健介は北斗プロデュースにより気は優しくて力持ち的なキャラが確立する。
 これに伴い2007年には全日の三冠王座、2008年にはプロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座を獲得。先のIWGP王座を含めて、史上初となる国内三大メジャー団体の頂点を極めるまでに至ったのであった。

佐々木健介
1966年8月4日、福岡県福岡市出身。2014年2月11日引退。身長180cm、体重115kg。得意技/逆一本背負い、ノーザンライト・ボム。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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