和地つかさ 2018年9月27日号

プロレス解体新書 最終回 〈“神様”を厚遇した猪木〉 ゴッチ戦で示した新団体の進路

掲載日時 2018年01月01日 16時00分 [スポーツ] / 掲載号 2018年1月4日号

 “プロレスの神様”カール・ゴッチ。総合格闘技が隆盛となって以降は、その技術の有効性を疑う声もあるが、しかし、その一方で今なお多くのレスラーから崇拝されている。
 ゴッチとアントニオ猪木の出会いによる化学反応は、日本のプロレス界にストロングスタイルという文化をもたらした。

 JR南千住駅から程近い東京都荒川区の回向院(別院)。松下村塾を開いた吉田松陰や橋本左内らも弔われる由緒正しき寺院の中に、今年7月、〈カール・ゴッチ之墓〉と碑銘を刻まれた墓石が建てられた。
 2007年に82歳で亡くなると、ゴッチの遺骨のほとんどは「人間の祖先は海から来たのだから死後は海に帰らなければいけない」との遺志により、フロリダの海に散骨された。しかし、その一部が弟子のジョー・マレンコによって保管されており、没後10年たって日本に分骨されることになったという。
 「カール・ゴッチ墓石建立プロジェクト委員会」の代表発起人の1人に名を連ねたアントニオ猪木は、納骨式後の記者会見で実務を担った西村修に謝意を示しつつ、「遠い過去になった話が思い起こされた。これをきっかけに、またレスリングが本来あるべき強さ、時代によっていろいろなものは変わっていくけれど、原点を忘れないでおくというのはいいこと」と、いつもの調子よりもやや控えめに語った。

 猪木とゴッチの最初の出会いは、日本プロレス時代にさかのぼる。'61年に初来日したゴッチだが、当時の“悪役外国人を力道山が倒す”という定番スタイルにはふさわしくなかったようで、力道山の「強けりゃいいってもんじゃない」とのゴッチ評が残っている。
 そのため、日プロでは主にテクニシャンとして知られる吉村道明と対戦。力道山とのシングル戦は一度だけに終わった(結果は引き分け)。
 だが、その実力者ぶりを認められると、'68年からは若手のコーチ役として日本に長期滞在し、そこで猪木も稽古を積んで卍固めやジャーマン・スープレックス・ホールドの必殺技を伝授されている。

 そして'72年、日プロを追放された猪木が新日本プロレスを創設すると、ゴッチはレスラー兼ブッカーとして参加することになる。
 「すでにこのときゴッチは47歳。選手としての峠は越えていた。それでも猪木がゴッチを頼ったことについては、古巣の日プロやジャイアント馬場の全日本プロレスに外国人ルートを押さえられ、ゴッチしか頼れなかったというのが定説とされているが、果たして、それだけだったのか…」(プロレスライター)

 インターネットもなく外国からの情報が伝わりづらかった当時、猪木は無名の外国人レスラー、タイガー・ジェット・シンを希代の悪役として育て上げている。同じことは旗揚げ当初から企てていただろう。
 プロレスをショービジネスとして捉えるなら、アメリカでもパッとしなかったゴッチをわざわざ看板にすることは、新団体にとってマイナスにもなりかねない。それでもあえてゴッチを厚遇した裏には、猪木なりの考えがあったと見るべきではないか。
 「やはり、そこにはゴッチの“強さ”への敬意があったのでしょう。人気でかなわなかった馬場に実力勝負を申し込んだように、猪木が目指したのはあくまでもストロングスタイルであり、そのためのスキルを持つゴッチを必要としたのではないか」(同)

 3月6日、大田区体育館での旗揚げ戦にゴッチとの試合を持ってくることで、猪木と新日の進むべき方向性を明確に示したというわけだ。
 「それまで“無冠の帝王”と称されていたゴッチが、のちに“神様”にまで格上げされたのも、新日で猪木と闘ってからのこと。この試合で猪木は、ゴッチのリバース・スープレックスによりフォール負けを喫しますが、これも神様として祭り上げるために必要な儀式だったのでしょう」(同)
 なお、この試合は互いに相手をロープに振ることをせず、グラウンドの攻防に終始するという、のちのUWFを彷彿させるものであった。

 それから半年後の10月4日、蔵前国技館における再戦は「実力世界一決定戦」と銘打たれ、ようやく猪木が初勝利を飾る。しかし、これも場外でジャーマンを放ったゴッチより早く起き上がった猪木が、リングに生還したというリングアウト勝ちであった。
 この試合ではゴッチが、キーロックをかけた状態の猪木を片腕で持ち上げ、コーナーまで運ぶという有名な場面がある。それから6日後の大阪大会では、再びゴッチがキーロックを仕掛けた猪木を持ち上げ、上から抑え込んでのフォール勝ち(エビ固め)。

 結局、ゴッチと猪木のシングルマッチは計5戦が行われ、ゴッチの3勝2敗となっている。また、ゴッチはレスラーとして以外に、コーチとしても新日の基礎を築いている。
 「藤波辰爾のドラゴン・スクリューやドラゴン・スープレックスがゴッチ直伝ということは知られているが、ゴッチ流のトレーニングに否定的だった長州力も、実は、デビュー当時から使うサソリ固めをゴッチから教わっています」(同)

 のちのUWF系の選手たちだけでなく、キラー・カーンなど初期の新日に在籍したほぼ全員が、ゴッチの薫陶を受けている。もしゴッチがいなければ、日本のプロレス界は今とはまったく異なる色合いになっていたに違いない。

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