RaMu 2018年12月27日号

北方領土4島一括返還は「そもそもありえない」ことを示している日本の歴史

掲載日時 2018年12月05日 06時15分 [社会]

北方領土4島一括返還は「そもそもありえない」ことを示している日本の歴史
画像はイメージです

 北方領土問題解決への期待が高まっているが、思い返せば2年前のちょうど今ごろの時期も、北方領土がいよいよ返還されるのではないかとメディアが大騒ぎしていた。2016年12月15日、安倍首相が地元の山口県にプーチン大統領を招待して温泉旅館で会談したからだ。

 しかし、「北方領土での共同経済活動の実現に向けた具体的な交渉に入ることで合意」しただけで、“残念な結果”と受け止める世論が支配的だった。

 今回も歯舞諸島と色丹島の2島返還が近づいたと見る向きがある。しかし、日本には「4島一括返還」の根強い世論もある。「2島先行返還」と「4島一括返還」、どちらに分があるのか。

 2年前、新党大地の鈴木宗男代表は弊誌のインタビューで「4島一括返還はない」ときっぱり言っていた。
「そもそも『4島一括返還』という言葉はない。確かに、ソ連時代に日本政府はそう言っていたし、返還の上にさらに『即時』まで付けていた。それは、旧ソ連が『領土問題はない』と言っていたからだ。しかし、1991年のソ連崩壊後、日本は段階的な解決論に方針転換した。だから、日本政府は91年以降、『4島』なんて言ったことがない」

 歴史を振り返れば、日本は1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約で、千島列島を放棄した。西村熊雄外務省条約局長(当時)は、その千島列島に国後・択捉が含まれると国会で答弁した。歯舞と色丹は北海道の一部という説明だった。

 1956年の日ソ共同宣言とは、当時の鳩山一郎首相とソ連のフルシチョフ第一書記との間で結ばれた条約で、そこには、「平和条約締結後に、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」と明記されている。ソ連はサンフランシスコ講和条約に署名していなかったため、日ソ国交正常化はこの共同宣言でなされた。

 「2006年に国会で、西村熊雄の答弁が今も有効なのかどうか質問したが、政府は有効だと言っている。日本の政治家の中にも、サンフランシスコ講和条約はソ連が署名していないので、日本は放棄していないことになると、すり替えの答弁をしていた人もいた。また、1956年にアメリカは『ソ連と平和条約を結ぶのなら沖縄は還さない』と恫喝してきた事実もある」(鈴木代表)

 4島一括返還を主張する人の論拠はこうだ。1945年8月の終戦間際、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告、日本がポツダム宣言を受諾した後もソ連軍は侵攻を続けて北方領土を不法に占拠した――ということだ。

 しかし、時系列で言えば、ソ連が北方領土へ兵を進めたのは米戦艦ミズーリ号の甲板上で日本が降伏文書にサインした9月2日以前の話。終戦間際のどさくさに紛れてかすめ取ったという側面はあるものの、日本とソ連は戦争状態にあったのだから、北方領土の占領を不法というには無理がある。また、北方4島を「日本固有の領土」と主張するのは、第二次大戦(太平洋戦争)の結果を受け入れていないことになる。

 そして2001年、森喜朗政権下でも北方領土返還の可能性が出てきたが、その後、小泉純一郎政権になってひっくり返った。
「私は、森総理時代の2001年3月のイルクーツクでの森・プーチン会談、あのときが一番、島が近づいたと思っている。しかし、01年4月に小泉政権が誕生し、逆に島は離れていってしまった。小泉さんはアメリカべったりだったし、日ロ関係について過去の経緯も知らなかった。その結果、空白の日ロ関係10年になってしまった」(鈴木代表)

 領土問題は関係国のナショナリズムを刺激するため、強いトップリーダーの判断でしか解決できない。戦争で失った領土を、血を流さずに取り戻したことなど世界の歴史において一度もないのだ。


社会新着記事

» もっと見る

北方領土4島一括返還は「そもそもありえない」ことを示している日本の歴史

Close

WJガールオーディション

▲ PAGE TOP