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おやじ雑学 江戸時代 粋な男と女の「色恋実話集」(3)

掲載日時 2014年11月07日 17時00分 [エンタメ] / 掲載号 2014年11月13日号

 思いのほか奔放な“性活”を送っていた江戸庶民たちだが、いつの時代にも異性と縁遠い者がいる。
 そんな彼らも、当然のように性欲はあるわけで、それを発散していたのが今と変わらぬ“自慰行為”だった。そして、その小道具として使われていたのが、現代と同じ“大人のおもちゃ”である。特に、独りモンモンと過ごす女が愛用したのが男性自身を模して作られた“張り形”で、素材、サイズなどバラエティーに飛んでいたようだ。

 まず素材としては、経済力のある商家の後家さんなどに人気だった水牛の角や鼈甲といった高級品。木彫りや和紙を張り合わせたもの、そして知る人ぞ知る肥後ズイキなどの庶民愛用品。ちなみに肥後ズイキには、男根型に組んだものからこけしなどの先に着けるリング型など、いろいろな種類がある。
 そうした既製品を買えない女たちは、ニンジンなどで作った“お手製”を利用したようだ。サイズは現代と同じようにミニサイズから特大サイズまでそろっていたが、やはり人気だったのが『春画』に描かれているような特大サイズだったという。
 欲求不満の女たちは、その抑えきれない欲情を満たすためにそうした張り形をまずは人肌に温める。そして、より煽情的になるために春画を見ながらアソコに当てたり、男に責められるようにM字開脚して挿入する。あるいは布団を丸め相手がいるように抱きついて挿入し腰を振るなど、それぞれより濃密な悦楽の世界をさまよっていたようだ。

 ともあれ、日々の暮らしに追われ、生きるのが精いっぱいだったように思われた江戸庶民たちだが、こと“色事”に関しては、男と女、おひとり様、さらには倒錯の性と、現代人以上にエンジョイしていたようだ。

 「一生に一度くらいは吉原に行ってみてぇけど、そんな金も暇もねぇ〜もんな」
 そういう庶民がしばしの快楽にふけったのが、もぐり(非合法)の遊里・岡場所だ。寺社地や繁華街の周辺に約200カ所、数千人の遊女がいたといわれる。
 岡場所の遊女は、元をたどれば旅籠の飯盛り女だ。旅人の世話をするのが本来の仕事。だが、宿場に遊女を置くことを幕府が認めなかったため、代役として夜も相手をするようになったようだ。五街道の最初の宿場、品川や千住、新宿、板橋の旅籠は美女も多く、人気があった。
 宿場以外では、深川、三田、麻布、本郷、浅草などが有名。特に深川は、大川端(隅田川)に江戸最大の富岡八幡宮や深川不動尊があり、その門前には料理茶屋や水茶屋、休み茶屋などがひしめき合っていた。
 そこには遊女の他に転び芸者や枕芸者などもいて、客の欲望を手軽な料金とシステムで満たしていた。

 もっと手軽な性欲発散法といえば“夜鷹”。現代の援助交際のはしりといわれ、一度の料金がかけそば一杯分というから、女にしてみれば悲惨を通り越して痛ましい。主に食い詰めた中高年女が担っていた職業だ。

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