葉加瀬マイ 2018年11月29日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第9回

掲載日時 2016年03月07日 14時00分 [政治] / 掲載号 2016年3月10日号

 「田中しゃん、実はGHQ(連合国軍総司令部)の命令により近々の衆議院の解散・総選挙が決まっておるんじゃ。ために、われわれは今の大日本政治会を解散、新しい政党で戦うべく日本進歩党を結成した。しかし、この総裁候補に2人が名乗りを挙げ、双方一歩も譲らない状態となっておる。やむなく、党としては選挙資金などの必要性から、早く300万円をつくった方を総裁とすることを決めた。自分は町田忠治を推しているのだが、何とか融通願えないものか…」

 終戦から10日目の昭和20年8月25日未明、田中角栄は折から「田中土建工業」の仕事で渡っていた朝鮮から何とか帰還船にもぐり込んで舞鶴軍港に到着、帰国を果たした。まだ終戦のドサクサで混乱、帰国は女、子供が優先であったが、田中角栄の「角」の字をくずして書くと「菊」とも読め、どうやら女性込みということで田中土建工業一行6名は優先帰還の途に就けたというエピソードがある。もっとも、朝鮮での理研関係の工事費2000万円、現在換算すれば100億円近いカネをポンと朝鮮軍の要求で支払うことを了承していたことが、真の優先帰還の理由ともされてはいる。

 さて、冒頭の話。戦後政治の混乱の中で、その年11月、戦前から「寝業師」として聞こえていた大麻唯男という代議士から、突然、新橋の料亭「秀花」に呼ばれて切り出された話であった。時に、大麻は田中土建工業の顧問である。ちなみに、後に田中と「政商」としてロッキード事件にも絡む小佐野賢治をつなぐことになる大物弁護士の正木亮もまた、顧問の1人であった。
 当時の300万円は、現在のカネで10億円ほどになる。田中はこれを、二つ返事で承諾したのである。朝鮮への100億円近い“置き土産”ともども何とも気前がよく、田中土建工業でのもうけぶりが知れる。田中、27歳であった。

 その話から2週間後、再び大麻から連絡があった。田中が会ってみると、今度は衆議院が解散した後のその選挙に出馬してみないかということだった。大麻はいかにも「寝業師」らしく、こう田中の心を揺さぶった。
 「あたしはね、田中しゃん、あーたに惚れておる。頭は切れる。実行力もある。カネも切れる。こういうしぇいねん(青年)こそを、今の日本は求めておる。しかるに、わが党にはなかなかいい候補者がおらん。あーたはあたしを助けてくれたが、今度はしぇいねんとして、何とか国家の再建に力を貸してもらえんものか。是非、立候補してくれましぇんか。あーたは15万円(現在の約5000万円)ほどのカネだけ出して、黙って1カ月おみこしに乗っておればよろしい。あたしが当選を請け負いましゅ」
 しかし、田中は迷った。除隊後の「社会のために何かお役に立ちたい」との気持ちの高まりの一方で、事業をそう簡単に放り出すわけにもいかなかったからだった。結局、迷った揚げ句2週間後に立候補を決断した。後に首相になった際、その政治姿勢のキャッチフレーズを「決断と実行」と定めたように、一度こうと決めた後の田中はブレを見せないのが特徴だ。何事にも、一気にエンジン全開となるのである。

 年が明けての昭和21年1月中旬、突然、当時の新潟県柏崎市本町七、閉鎖した旧市川百貨店跡にとてつもない大看板が出現する。1メートル四方の字で、「田中土建工業新潟支店」のペンキ書き。付近の人たちはナニゴトかと面喰らったのは言うまでもなかった。来たるべき総選挙は3月11日公示と決まり、東京から田中土建工業の社員を動員、ここを選挙の本拠地とするというデモンストレーション、宣戦布告ということであった。

 時に、田中の“胸算用”は事業取り引きのある新潟の理研グループ関連会社従業員3万人を軸にその家族、係累、出身校の二田尋常高等小学校の校長で県下に人望のとどろいていた草間道之輔を中心とする教育界の人脈、戦友、さらには父・角次の牛馬商仲間などの支援を得て「当確」というものであった。この戦後第1回目の総選挙は大選挙区制で定数8、田中はこの新潟2区の当選ラインを4万票とはじいたのだった。

 一方で、このころの地元での田中の評判と言えば、東京でひと山当てた「成金」どまり。“落下傘候補”の上、所属政党の日本進歩党がそもそも大政翼賛会系であり、非翼賛会系の自由党、あるいは「日農」など農民や労働者の支持を受ける社会党などからは「日本進歩党の戦争責任は大」なる声を上げられるなど、いささか党のムードも盛り上がりを欠いていた。それでも、父・角次は「おらのとこのバカが選挙に立つと言っとるけ、困ったもんだがよろしく頼む」と、牛馬商仲間にいささか誇らしげに吹聴して回っていたものだった。

 しかし、“初陣”「日本進歩党公認・田中角栄」の思惑は大ハズレとなるのである。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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