世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第78回 セウォル号の悲劇と新自由主義

政治・2014/06/03 15:00 / 掲載号 2014年6月12日号

 韓国統計庁が、2014年4月の失業者数について103万人との数値を発表した。失業率でいえば、3.9%になる。
 とはいえ、本連載で繰り返し取り上げてきた通り、韓国の失業率は全く「現実」を示していない。
 連載第71回でご紹介した通り、今年の韓国は、失業率が1月の3.5%から2月に4.5%に「跳ねた」。わずかひと月で失業率が1%も急騰するなど、日本なら内閣総退陣並みの重大問題である。
 韓国の失業率が2月に跳ね上がったのは、労働市場から排除されていた「実質的な失業者」が、公務員採用試験を受けるなど、労働市場に戻ってきたためだ。
 失業率とは「失業者÷労働人口」で算出される。すなわち、失業者について「労働人口に含まれない人」と定義してしまうと、労働人口に占める失業者数が減るため、見かけの失業率を引き下げることができるのだ。

 一応、韓国統計庁は「労働人口に含まれない人」の統計も公表している。具体的には、
◆労働時間が週当たり36時間未満の不完全就業者のうち、追加就業希望者(33万3000人)
◆非経済活動人口のうち就業希望者(56万5000人)
◆59歳以下で休んでいる人(86万2000人)
◆求職を断念した人(37万人)
 である。彼らを加えると「広い概念の失業者」の数は、実に316万人に達することになる。失業率でいえば、11.1%だ。

 韓国の失業率が実態を反映していない問題は、以前から有名だったのだが、ようやく韓国政府も是正に乗り出した。
 韓国統計庁は失業率を補助する新たな指標を、今年の11月に発表する予定になっている。
 ILO(国際労働機関)の国際基準に基づき、不完全就業者や潜在的労働力についても考慮した指標を公表するわけである。

 韓国の労働環境は、日本とは比較にならないほどに厳しい。
 特に、'08年に発足した李明博政権は、いわゆる新自由主義的な政策を推進し、様々な規制緩和により労働市場の競争を激化させた。結果、韓国人が安定的な正規職を得ることは、まさに狭き門と化してしまった。
 何しろ、4月16日に全羅南道珍島郡の観梅島沖海上で転覆・沈没し、300名を超す死者・行方不明者を出してしまった大型旅客船『セウォル号』の船長までもが、賃金が低い1年任期の短期契約職員だったわけだから、半端ない。
 ベルリン芸術大学で教鞭をとる哲学者、ハン・ビョンチョル教授は、セウォル号の船長について、「権威はなく、単に名前だけの船長だった」と指摘し、船長職までをも契約社員にすることを認めてしまった韓国の「労働規制の緩和」を猛烈に批判している。
 ちなみに、セウォル号のクルーは船長以外も、ほとんどが非正規社員だった。

 労働規制の緩和に加え、ハン教授は李明博政権による「船舶の寿命」に関する規制緩和も批判している。一般的に、船舶の寿命は20年程度と考えられているが、李政権は'09年に「30年使用可能」な形に規制を緩和してしまったのだ。
 結果、日本で廃船寸前だった船舶が韓国に輸出され、セウォル号と名を改めて現役の旅客業務に就いた。無論、企業の「利益」にとって船舶の寿命を長期化してくれることはありがたい話だが、結果的に「安全」が軽視されてしまったことは否めない。
 新自由主義的な発想に陥ると、とかく政府は「企業の費用を引き下げ、利益を高める」政策ばかりを推進するが、当たり前の話として規制が緩和されると、「安全」はないがしろにされがちになる。

 翻って日本に目を向けると、航空産業の規制の緩和により、複数のLCC(格安航空会社)が誕生。すでに、日本国内で航空サービスを提供している。
 4月24日、ANA傘下のLCC(格安航空会社)ピーチ・アビエーションが、パイロット不足から5月〜10月に便数を2000以上も減らすと発表。さらに、5月20日には7月〜8月期の減便も確定した。同社によると、2カ月間の欠航総数は894便になるとのことである。
 そもそも、LCC各社の経営はそれほど楽観視できるものではなく、ピーチは唯一の「勝ち組」と言われていた航空会社なのだ。勝ち組のはずのピーチまでもが、パイロット不足で減便。なかなか考えさせられる話だ。

 現在、新興経済諸国の需要拡大などを主因に、パイロットの数が世界的に不足しており、特にLCC間では「パイロットの引き抜き」が常態化している。
 この状況が続くと、やがては我が国においても、
 「パイロット資格取得の規制緩和」
 などと、怖い路線を進みそうだが、まずは改めてきちんと考えなければならないのは、「安全確保」と「コスト削減」は、トレードオフ(一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ない状況)の関係にあるという事実だ。

 安全確保に力を入れれば入れるほど、当然の結果としてコストが膨れ上がっていく。
 逆に、コストを削れば削るほど、安全性は落ちざるを得ない。
 無論、市場競争を否定するわけではない。だが、航空サービスや海運サービスなどで「安全」を無視してまで価格競争に走られる、あるいは露骨な人材引き抜き合戦をされるとなると、これはさすがに行き過ぎである。
 最終的に、セウォル号のように、日本の航空サービスの機長が「短期契約社員」あるいは「外国人の派遣社員」といった有様になったとして、我々はその手の航空会社に安心して乗ることができるだろうか。筆者には無理だ。

 結局のところ、ユーザーである我々は、飛行機でいえば機長、船であれば船長を「信頼」「信用」し、命を預けるしかない。
 この手のサービスで、「利益! 利益!」「コスト削減! コスト削減!」「船長や機長も、安価な契約社員で!」などとやられた日には、サービス基盤が根底から崩れ落ちることになる。
 セウォル号の悲劇は、企業の「利益」と「安全確保」との関係について、改めて考えさせてくれる。
 特に、労働規制の緩和に邁進する安倍(晋三)政権には、「規制緩和の意味」について真剣に考えて欲しいと、筆者は痛切に思うのだ。

三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。

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