葉加瀬マイ 2018年11月29日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第51回

掲載日時 2017年01月16日 14時00分 [政治] / 掲載号 2017年1月19日号

 前2代の大平正芳、宮澤喜一両通産大臣がお手上げ、3年間暗礁に乗り上げていた「日米繊維交渉」は、その後を受けた田中角栄が通産大臣に就任してわずか3カ月で決着をみた。「イト(繊維)を売って、ナワ(沖縄)を買った」とのカゲ口もあったこの交渉落着ではあったが、田中は昭和46年10月15日、ニクソン大統領の特命を受けたデヴィッド・ケネディ特使を説得、屈服させた形で了解覚書に仮調印、政府間協定締結が事実上決まったということであった。

 田中のケネディ特使とのサシでの交渉は、まさに気迫の勝負であった。田中には一部に「外交でなく内政向きの政治家」との見方があったが、実はこれは全く見当違いである。「内政向き」と見るのは田中の持つ“土着イメージ”がさせたものにすぎず、決断早く、情緒的なものは排除して合理性を優先、押しまくる手法はむしろ「外交の田中」だったと見る方が当たっている。外交とは、「取引」そのものなのである。
 ために、外交交渉では、日本人特有の感性、情緒では通用せず、要は「あれはやるから、これはくれ」といった極めてドライなものとなる。押しの強さ、駆け引きの妙がなければ、外交交渉は成り立たないのである。
 後に首相になってすぐの日中国交正常化交渉や、同じくソ連(現・ロシア)へ飛んでの首脳会談で「北方領土問題は戦後未解決の懸案」とする文言を共同声明に入れさせることに成功したことは、こうした「田中流」を明らかにしている。

 さて、そうした一方で、来年5月(昭和47年)の「沖縄返還」を花道に退陣が事実上決まっている佐藤栄作首相の後継を巡る火花は、激しさを増していた。
 年が明けた昭和47年1月、佐藤首相は福田赳夫外相と田中通産相の佐藤政権を支える“龍虎”を同行、突然の訪米で時のニクソン大統領とのサクラメントでの首脳会談に臨んだ。しかし、すでに沖縄返還協定の調印は半年前に終わっており、なぜあえてこの期の訪米なのか、とりわけ自民党内では憶測が飛び交ったものであった。

 佐藤首相は「沖縄返還の期日を確定するためにニクソンと会う」とその理由を口にしたが、一方では「雑音入り交じる国内を離れ、田中に因果を含めて“ポスト佐藤”の総裁選出馬を断念させようとしているのではないか。言うなら、福田を先に、田中をその次の総裁でということで“手打ち”をさせようとしている」との見方も少なくなかったのだった。この訪米に同行した政治部記者の、こんな話が残っている。
 「向こうではどちらかと言えば福田が渋い顔、田中はハシャギ回っていた感があった。ために、記者団からは『田中が逆に佐藤の抱き込みに成功したんじゃないか』の声も出ていた。田中にそのあたりをぶつけると、『“談合”なんてあるわけがないだろう』とピシリ言っていたが」

 ちなみに、訪米最後の日となったロサンゼルスでは、こんなエピソードもある。同じく、前出の記者の証言である。
 「同行記者団はロスの夜をストリップ劇場で楽しんだのだが、踊り子の艶技“泡踊り”が佳境に入ったころ、何と『角福』両雄が秘書官などを連れて入ってきた。ご両人、舞台前の最前列に腰を下ろして、踊り子の激しい動きで飛んでくる泡をさかんに首を振ってよけていたものです。その後、本場のポルノ映画を見に行こうとなったんだが、福田は『行こう、行こう』、田中は『いやだッ』とかたくなで、結局、実現しなかった。田中という男は、女好きではあるが座敷などでも下ネタはまず口にしないという妙な品のよさがあったんです」

 この「ポスト佐藤」候補は田中、福田の他、三木武夫、大平正芳、中曽根康弘(いずれも後に首相)が「次の次」への布石として出馬を模索していた。当時、この大物5人を指し、世間は「三角大福中」と呼んでいた。しかし、事実上の争いは「角福」両者というのが客観的情勢であった。一方で、佐藤首相の「意中」は福田というのがもっぱらであった。福田は佐藤の実兄である岸信介の派閥を引き継いで「福田派」をけん引していたことから、一つには心情的な面、もう一つは田中は“暴れ馬”、後継となった場合は退陣後の自らの影響力温存がかなわないという読みもあったからともされている。
 一方で、世間が期待したのは、断然、田中であった。学歴がなくとも、苦学力行で政界の頂上へ向けて這い上がってきた。数字に強く、行動力、決断力、実行力がある。義理と人情を解し、きめ細やかな気配りもできる。佐藤までの戦後首相はいずれもエスタブリッシュの官僚出身、「庶民宰相」の誕生を期待したということであった。

 その頃、田中は目前に迫った総裁選をにらんで、秘書にして愛人「越山会の女王」こと佐藤昭子にこう漏らしている。
 「オレは負け戦はしない」
 すでに、佐藤首相の“説得”などは眼中になかった。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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