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バンクーバー五輪 宴の後(2) 安藤は芸能界入りが有力視

掲載日時 2010年03月04日 00時00分 [スポーツ] / 掲載号 2010年3月18日号

 浅田と安藤。2人が出会ったのは14年前に遡る。場所は名東フィギュアスケートクラブ。ここで門奈裕子コーチの教えを受けた。浅田5歳。安藤は8歳だった。
 「浅田は3歳の頃からレッスンを受けています。それに対して安藤がスケートを始めたのは8歳。大好きな父親を亡くして、その心の空白を埋めるためにフィギュアスケートを始めた」(スケート関係者)

 浅田の父親は名古屋で飲食店を経営するやり手の経営者。安藤は母子家庭。
 「衣装、用具、レッスン料。フィギュアスケートはべら棒にカネがかかる。金が潤沢にある浅田の家庭とは違い、母子家庭の安藤家では娘にフィギュアを満足に続けさせるのにかなり苦労したようです。しかし、その苦労は全日本ジュニア選手権優勝、ISUジュニアグランプリ、JGPファイナル3戦全勝の華々しいデビューへと繋がるんです」(スポーツ紙デスク)

 浅田は天才だった。3回転のアクセルは小学校の頃から跳んでいたといわれる。'03年の中部ブロック大会では、若干12歳ながら3回転アクセルと2回転トウループのコンビネーションを成功させ、周囲をアッといわせた。安藤の後を追いかけ、ひたひたと迫るのが浅田だった。
 対して、安藤は'02年〜'03年のJGPファイナルで女子シングル史上初の4回転サルコウを成功させ、一躍注目された。'03〜'04年のシーズンでも、全日本選手権で4回転サルコウを成功させ、村主章枝、荒川静香らを抑えて初優勝。女王の座を射止めた。

 そして、満を持して臨んだトリノ五輪で安藤は4回転ジャンプに失敗。メダルの期待を背負いながらも、失意の15位に終わった。
 「トリノ後の4年間で、浅田は完全に安藤を抜き去ったのです。それは安藤も自覚しているが、努力の人・安藤としては認めたくない旧女王の意地があった。14年間に及ぶ2人の関係がそうさせ、意識的に避け、会話することもなかった。安藤が浅田に勝るのは演技力。少女の浅田に比べて、安藤には大人の色気がある。バンクーバーのリンクで見せたクレオパトラの演技は、“女王”安藤の最後のプライドだった」(スポーツ紙デスク)

 オリンピック後は当然、安藤の今後に焦点があてられる。本人は「3度目があってもいい」とはいっているが、下からは優秀なジュニアがドンドン育っているため、「4年後はない」(担当記者)のが実情だ。
 「鉄は熱いうちに打て。結局は引退、キャスターか芸能界入りが濃厚です。安藤には、スピードスケートの加藤条治から頻繁にメールが届いたりしたほか、高橋大輔との艶聞もあり話題に事欠かないタレント性がある。そして、今はモロゾフコーチでしょ。モロゾフとは右手にお揃いの指輪をしており、電撃結婚もありうる」(芸能レポーター)

 キム・ヨナがプロ転向しそうなフィギュア界。浅田時代が幕開けする。

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