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森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 小学生の英語教育は必要か

掲載日時 2016年09月01日 14時00分 [社会] / 掲載号 2016年9月8日号

 小学生に対する英語教育が、2020年以後、3年生から必修化、5年生から教科化されることになった。現在と比べると、時間にして約3倍に増えるという。「グローバル化が進む中で、英会話能力の育成は不可欠」だと考える国民は多いだろうし、自分自身の英会話能力の低さを振り返ると、小学生時代から英会話の教育を受けておけばよかったと考える国民は、多数派だろう。

 しかし、私は小学生からの英語教育は、百害あって一利なしだと考えている。第一の理由は、小学生時代の外国語能力獲得は、その後に大きな成果を残さないということだ。
 私は、父親が新聞社の外信部で働いていたため、小学校1年生をアメリカで、4年生をオーストリアで、5年生をスイスで過ごし、すべて現地の公立小学校に通った。最初は英語で、次いでドイツ語、最後はフランス語だった。子供は語彙が少ないから、半年も経てば、普通に会話ができるようになる。しかし、それで何が残るのかということだ。私はいま、ドイツ語もフランス語も話すことができない。英語は少し話せるが、それは中学以降の学習の中で身に付けたものだ。
 もちろん、私は外国語教育が必要ないと言っているのではない。自国語とスタイルの違う言語が存在することを学ぶことは、とても重要だ。しかし、それが意味を持つのは、まず自国語をしっかりと勉強した後のことだ。

 私が小学生からの英語教育に反対するもう一つの理由は、そもそも英会話を必要とする国民がどれだけいるのか、ということだ。
 確かに、エリートビジネスマンに英語は不可欠となっている。ただ、そこでの英語能力は、中学生からでも十分身に付けることができる。現在、日本で働き、流暢な日本語を操る外国人のほとんどは、小学校時代に日本語を学んでなどいない。日本のビジネスマンに欠けているのは、語学力ではなく、外国人と話題を共有できる教養のほうだ。
 一方で、世界中のどの国を見ても、一般庶民は自国語のみを使って生活している。それで問題は起きていないのだ。

 それでは、日本語もろくに出来上がっていない日本の小学生になぜ英語を教えるのかといえば、私には米国企業にとって使いやすい労働力を育てたい、もっと言えば、米国への隷従を深めるためではないか、と考えている。
 1945年9月2日、日本が降伏文書に署名した直後、GHQは日本政府に「三布告」の即時実施を突きつけた。幸い、外務官僚の機転と命を賭した交渉によって実施は見送られたが、そこに書かれていたのは、通貨発行権と司法権をGHQが握るとともに、公用語を英語にするということだった。占領とは、そういうものなのだ。
 小学校のときから英語を学べば国際感覚が養われるというのであれば、例えば、学ぶべき外国語を英語のほかに、ドイツ語、フランス語、中国語といった選択式にしてもよいはずだが、そうした話は一切出てきていない。

 言葉というのは最も大切な文化だ。英語で考えると英語の発想になってしまうからだ。いま初等教育に一番必要なことは、日本語をきちんと教えることではないだろうか。

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