森咲智美 2018年11月22日号

世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第212回 移民政策のトリレンマ

掲載日時 2017年03月10日 14時00分 [政治] / 掲載号 2017年3月16日号

 厚生労働省の最新データによると、2016年10月末の日本の外国人労働者数は約108万人。過去1年間で約17万人、割合で約20%も増加した。わが国は着々と移民国家への道を歩んでいる。
 日本がこのまま外国移民の受け入れを続けると、われわれは「自由」もしくは「安全」のどちらか一つを諦めなければならなくなる。

 差別などと関係なく、事実として外国移民が増えると治安が悪化する。フランスのムスリム(イスラム教徒)の人口は、全体の8〜10%を占めるにすぎない。ところが、フランスの刑務所内のムスリム人口は、何と60%。パリの大きな刑務所では70%に達している。
 イギリスでも、ムスリム人口は全体の5%にすぎないが、イングランド・ウェールズ地方の刑務所の受刑者のうち、ムスリムが15%を占めている。
 外国人労働者や外国移民の受け入れ拡大が国内の治安に悪影響を及ぼすのは、これら欧州の事例から見る限り、否定できない事実なのである。

 さて、世界には移民国家であり、さらに移民が増え続けていながら治安が日本並みによい国が存在する。シンガポールだ。シンガポールは移民人口比率が4割を超えていながら、治安がよい。移民国家と安全な国家を両立させることは可能なのだ。
 ただし、シンガポール国民には「安全な移民国家」の代償として失っているものが一つある。すなわち、国民の自由だ。ここで言う自由とは、表現の自由、集会の自由、組合結社の自由といった政治的自由に加え、人生の自由をも含んでいる。

 政治学的に「自由」とは「選択の自由」を意味する。国民の選択の自由を高めるためには、ナショナリズムに基づき、「母国語」でビジネス、文化を繁栄させる必要がある。
 日本国民が比較的「職業選択の自由」を享受できているのは、わが国が曲がりなりにもナショナリズムに基づき「日本語」の文化を拡大しているためだ。しかも、例えば入試に失敗するなどの挫折を味わったとしても、日本国内で生きている限り別の道で成功することもできる。日本語のみで生きていけるため、日本国民の「選択の自由」は幅広い。

 シンガポールの公用語は英語、中国語、マレー語、タミル語の四つだ。とはいえ、現実にはシンガポール国民は英語を学ばなければ、職を得ることができない。しかも、シンガポールの子供たちは小学6年生のときに「PSLE」という試験を受け、成績次第で「人生」が確定してしまう。その後もテストが繰り返され、最終的に勝ち抜いた子供だけが大学に行くことができる。
 また、メイドや土木作業員、街の清掃員として働くフィリピン人、インドネシア人の出稼ぎ労働者とシンガポール人との間には、露骨なまでの“階級格差”がある。特にメイドは6カ月ごとに医師の診断を受ける必要があり、妊娠していた場合は理由のいかんを問わず国外追放だ。

 母国語で学び、働き、職業選択の自由もあり、言論の自由も保証されている上に、外国人に対しても極めて寛容な日本国民に比べ、シンガポール国民の自由は明らかに制限されている。何しろシンガポールでは「飼っていいペットの数」までもが政府に決められている。ゴミのポイ捨ては罰金刑、ガムは持ち込み禁止、落書きや破壊行為は下手をするとムチ打ち刑だ。無許可で5人以上が集まり抗議活動などを行うと即座に逮捕される。18歳以上でドラッグを保持していると絞首刑になる。ちなみに外国人も例外とはならない。
 シンガポールについて「明るい北朝鮮」と表現する人すらいる。さすがに、それは言い過ぎだと思うが、確かにシンガポール国民はわれわれとは比較にならないほど不自由だ。

 シンガポールは国民の7割は中華系、残りがマレー系、インド系である。さらに、フィリピンやインドネシアからの出稼ぎ移民が暮らしている。
 それにもかかわらず、治安は維持されている。理由は、シンガポール政府がさまざまな法律で国民や移民の自由を制限しているためなのだ。

 もともと、シンガポールは移民を「国民」とし、マレー連邦から追放される形で独立した国家である。なぜ、マレー連邦がシンガポールを捨てたのかと言えば、まさしく複数民族が混在したシンガポールと、マレー人優遇政策を採ろうとするマレー連邦との軋轢が激化し、沈静化が不可能になってしまったためだ。
 シンガポールは移民国家であったが故に、民族主義的なマレー連邦から捨てられたのだ。民族的にバラバラだったシンガポールを、後に「建国の父」と呼ばれた政治家リー・クアンユーが「事実上の一党独裁(人民行動党)」「言論弾圧」「管理社会」「厳罰主義」によりまとめた。
 シンガポールは自由を制限することで、「安全な移民国家」を実現した。逆に言えば、移民受け入れと治安の維持を両立したいならば、国民の自由を制限しなければならない。あるいは現在の欧州のように、国民の自由を制限せず、移民を大々的に受け入れると治安は悪化せざるを得ない。

 外国移民受け入れ、治安維持、そして国民の自由。この三つを同時に成立させることは不可能なのである。すなわち、移民政策のトリレンマだ。トリレンマとは、三者択一を迫られて窮地に追い込まれることを言う。
 ○外国移民を受け入れ、治安を維持しようとすると、自由を失う(※シンガポール)
 ○外国移民を受け入れ、自由を保とうとすると、治安が悪化する(※欧州)
 ○自由を保ちつつ、治安を維持したいならば、外国移民を受け入れることはできない(※これまでの日本)

 移民政策のトリレンマからは、いかなる国も逃れることはできない。日本が移民を受け入れる場合、国民は自由か安全のいずれかを諦めなければならないのだ。
 逆に言えば、安全で自由な国を維持したいのであれば、移民を受け入れてはならない。
 安倍総理をはじめとするわが国の移民推進派は、本人たちがどう言い訳しようとも日本国民の「安全」もしくは「自由」を破壊しようとしている。繰り返すが、移民政策のトリレンマからは、日本国といえども逃れることはできない。

みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。

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