祥子 2018年7月26日号

小沢秘書を抱き込んだ 性事家青木愛の「寸止めテク」(2)

掲載日時 2010年10月29日 11時00分 [政治] / 掲載号 2010年11月4日号

 もちろん、この魔性ぶりは政治家を志してからも健在だった。芸能活動引退後、青木氏は千葉大学の大学院などを経て、実家の保育園に勤務したが、36歳の時に「小沢一郎政治塾」に入塾を決意。この際にも魔性の逸話を残しているのだ。前出の民主党議員が言う。
「『小沢塾』は35歳までの年齢制限があるため入塾できなかったが、豊満な肉体と愛くるしい瞳が目を引き、小沢さんの勧めで『自由党』に入党したのです。その後、同党は民主党と合併。青木は、'03年の衆院選に千葉12区から出馬し、当選を果たしたのですよ」

 ただし、政界で「オヤジ殺し」と評判になり始めたのは、'05年の郵政選挙で落選してから。失業した青木氏を小沢氏が秘書として雇い入れ、『小沢塾』への入塾希望者をさばく面接官に抜擢したのである。当時を知る政界関係者はこう話す。
「垂れ目がちの瞳と、笑顔を絶やさない口元。偉ぶったところもないことから、面接官としても評判が良かった。ただ、小沢氏は何でも『ハイ、ハイ』と絶対的に自分を崇める青木さんにゾッコンで、可愛くて仕方ない様子でした」

 もっとも、青木氏が不倫騒動のお相手である小原氏と面識を持ったのも、ちょうどこの頃。当時から小原氏は「小沢秘書軍団」の参謀格で、「青木氏には雲上人だった」(同)が、その関係を激変させたのが昨夏の衆院選だったのである。
「政権交代を果たしたこの選挙で、青木は東京・12区の太田昭宏公明党代表の刺客として出馬。その選挙戦の陣頭指揮を執ったのが小原だったのです。相手が公明党の党首だったために、選挙戦はまさに死闘。そのため青木は小原の指示通り、毎日30回の辻立ちをして当選を果たした。この後から不倫愛に陥ったと見られているのです」(全国紙政治部デスク)

 2人が具体的にいつから親密な関係に陥ったのかは不明だが、実は過去にはこんな目撃情報がある。
「今年開かれた小沢派のある懇親会で、青木がワインを飲みながら上気した目で小原を盗み見していたことがあった。小原は青木に目もくれなかったが、今思えばそれがサインだったと推測できる。明らかに『オヤジ殺し』『焦らしの女王』と呼ばれた青木の方が、ベタ惚れの目付きだったのです」(別の民主党関係者)

 ただし、そのモラルを欠きまくった熱愛は永田町ではご法度。言うまでもなく今回の「不倫騒動」には、党内外から大バッシングが上がっているのである。
 中でも特筆すべきは、小原氏の電撃移籍時に青木氏が見せた冷徹ぶりだ。

 前出の民主党議員がこう語る。
 「実は、小原を雇い入れるにあたり、青木事務所では解雇騒動が勃発しているのです。青木は元からいる政策秘書を第一秘書にスライドさせようと画策したが、話がこじれて結局クビにした。その身も蓋もない小原恋しのゴリ押しぶりに、批判が続出しているのです」

 ただし、不可解なのはこの際の小沢氏の動きなのだ。
 実は青木事務所を辞めた政策秘書は、なんとその後すぐに小沢事務所に再就職。小原氏と入れ替わる形で「秘書軍団」入りしているのである。そのため党内では、小沢氏が「青木から人質を取った」とももっぱらなのである。
 「当初から『小沢秘書軍団』は不倫騒動にカンカンだったが、それを振り切って小原が青木事務所に移籍できたのは、小沢の『政治とカネ』を知り尽くしていたからだと言われていた。つまり、弱味があるから自由にさせたと伝えられていたのです。ただ、小沢氏としてみれば、それをやりたい放題にさせておくわけにはいかない。このため、不倫関係をよく知る青木の元秘書を手元に置いたと見られているのです」(前出・政治部デスク)

 今回の「不倫騒動」では“熱愛ぶり”が報じられる2人の去就も気になる。
 「青木は小沢派の怒りを買ったことから、次期総選挙で落選が確実視されている。一方、小原は小沢の元秘書。しかも敵対関係にあるとのオマケまで付き、永田町での再就職は絶望的。そのため、『果たして、不倫の果てに2人はどうやって生きて行くのか?』と評判になっているのです」(前出・政界関係者)

 青木氏の発売したCDではないが、まさにその「愛(の行方)は蜃気楼の中」なのである。

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