中川祐子 2019年1月31日号

百田尚樹氏『日本国紀』の指摘を修正するも新たなミスが勃発

掲載日時 2018年12月10日 18時15分 [エンタメ]

 『永遠のゼロ』『海賊と呼ばれた男』などベストセラー作を世に送り出した作家、百田尚樹氏の最新刊『日本国紀』が、ネット上でいまだに論争となっている。この本は発売直後にWikipediaからのコピペが指摘されたこと、歴史認識の誤りなどがツイッターで多数指摘され、百田氏が反論するなど大きな話題になっていた。

 その後、百田氏がインターネット放送でWikipediaからのコピペを認めたことでさらなる炎上を招いた。そして、こっそりと重版で指摘箇所を訂正するなどをしていたが、さらに大幅な修正をしていたことが分かった。

 まず分かっているのが、仁徳天皇の「民のかまど」に関するエピソードの部分。初版ではなかった「真木嘉裕氏」という名前が出てくる。これは1991年12月に大阪新聞に掲載された記事をパクっているとツイッターで指摘されていたが、この記事の著者が真木嘉裕氏である。真木氏の名前を載せたということは、ツイッターでの指摘を認めたということだ。

 次に訂正されたのは、サンフランシスコ講和条約に関する部分。初版では「そこでスターリンは日本のコミンテルンに『講和条約を阻止せよ』と指令を下したといわれている。これを受けて野党第一党の日本社会党と日本共産党は真っ向から講和条約締結に」のくだりが、「そこでスターリンは日本の旧コミンテルン一派に『講和条約を阻止せよ』と指令を下したといわれている。これを受けて野党第一党の日本社会党と日本共産党は真っ向から講和条約締結に」と変更されている。

 コミンテルンとは、旧ソ連が作った世界革命の実現を目指す組織で、世界各国の共産主義革命運動を支援していたとされている。これが『日本国紀』では当時の日本社会党や共産党を支援していたという内容だが、コミンテルンは1943年に解散されていて、サンフランシスコ講和条約が締結される1951年に邪魔をすることは不可能。そこで「旧コミンテルン一派」という名前に変えたようだが、実はこれも間違いである。

 スターリンは、コミンテルンの後継組織としてコミンフォルムというのを1947年に結成していたが、日本社会党と共産党に接触したという資料は残っていない。ましてや「旧コミンテルン一派」という組織はあったかどうかも不明だ。

 修正はこれだけではない。「東洋のシンドラー」と呼ばれた杉浦千畝に関する部分も間違いが指摘されていて変更をされていた。初版では「ユダヤ人脱出に尽力した、樋口季一郎・安江仙弘・杉原千畝の三者の名前がゴールデンブックなる記念碑に刻まれている」と記述されていたが、これは間違いであると指摘されていた。この指摘部分が、第5版では消えて変わりに「これらのエピソードから、当時の日本政府にも陸軍にも民族差別の意識がなかったこと、人道主義の立場を取っていたことがうかがえる」と記述に変わった。

 しかし、これがさらに大きなミスを犯してしまった。ミスは「当時の日本政府にも陸軍にも民族差別の意識がなかったこと、人道主義の立場を取っていたことがうかがえる」の部分。戦前・戦中期の書物には「ユダヤ禍」という反ユダヤ的記述が多く見られ、親ユダヤではなかったことは容易に分かる。百田氏は恐らく『ユダヤ人対策要綱』を参照したと思われるが、書物は責任者である安江仙弘大佐の考え方が色濃く反映されていたといわれていて、日本政府や陸軍がまとまとりある意思の統一体として動いていたわけではないとされている。

 このように修正されても間違いが指摘されている『日本国紀』だが、ついに百田氏のファンからこんな投稿が百田氏に届いた。
《百田さん、有本さんのファンです。当然日本国紀(初版)も買いました。そこでお願いです、重版した版では一部修正をしたとのウワサがあります。もし、修正したならば修正箇所公開してほしいです。修正箇所を踏まえた上で本書を堪能したいと思います。誠実な対応を期待しております。》
 これに対し百田氏は、
《しばらくお待ちください》

 果たして、百田氏から誠実な対応が発表されるのか?注目である。


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