林ゆめ 2018年12月6日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第50回

掲載日時 2017年01月07日 12時00分 [政治] / 掲載号 2017年1月5・12日合併号

 田中角栄が重要ポストに就くと、運命的と言うべきか必ず目前に難問が立ちはだかったとは、以前、記している。郵政大臣時は、大量申請の中から至難のテレビ予備免許裁きであったり、大蔵大臣時は金融恐慌危機、すなわち「山一證券」の救済などである。「天下取り」決戦目前での通産大臣就任が、また同じであった。

 田中通産相の前に立ちはだかっていたのは、当時、最大の懸案といわれた日米繊維交渉であった。米国は、時に貿易収支が悪化しており、その大きな要因の一つに日本の繊維製品輸出の増加を挙げ、自主規制を強く求めていた。しかし、田中の前の通産相の大平正芳、宮澤喜一(共に後に首相)は事態打開に立ち向かってはみたものの何ら糸口を見い出せず、3年間にわたり交渉は暗礁に乗り上げたままだったのである。特に、時のニクソン大統領は自らの大票田の南部諸州の繊維業者の突き上げもあり、姿勢は強固そのものであった。
 ところが、日本側が米国の貿易収支の悪化を分析すると、必ずしも日本の繊維製品の輸出で米国の業者が大きな被害を受けている事実はなく、ために日本国内の繊維業界は輸出規制に断固反対、これが繊維交渉が暗礁に乗り上げていた原因だったのだ。こうした中で、田中に交渉打開のお鉢が回ってきたということだった。

 佐藤栄作首相は、この難局をなぜ田中に託したのか。大きく二つの思惑があったとされる。
 一つは、昭和44年11月の佐藤・ニクソン会談で3年後の沖縄返還がすでに決まっており、それを実現させるには、何としてもその前にこの交渉の決着を図らねば、という思いがあった。その決着には、田中のラツ腕に頼るしかないということだった。もう一つは、自分が退陣した後の後継「意中」は福田赳夫(後の首相)というのが佐藤周辺の大方の見方であり、対米配慮派の外務省のトップにあえて福田を持って来、外務大臣として傷を付けずに“温存”したいという思いもまたあったとみられる。
 そうであれば、田中の通産相就任は“貧乏くじ”を引かされたと見ることもできたのである。
 なるほど、「ポスト佐藤」を田中と定めた面々からは、「何でこんな時期に泥をかぶるんだ。交渉打開できずとなれば、首相への目がなくなりかねない」と不満の声も出た。しかし、田中はこうした声に、こう答えたものであった。「いいんだ。佐藤政権の最後の責任はオレがすべて取る。あえて、“火中の栗”を拾う」と。

 田中は死に物狂いで、交渉に立ち向かった。通産相就任後わずか10日後には、ニクソン大統領の特命を受けたデヴィッド・ケネディ特使と会談。これまで暗礁に乗り上げていた問題点を整理、独自の戦略を練った。その後も、一方で米国通商政策のキーパーソンらと秘密交渉をやっては情報を取ったりしていた。当時のこの日米繊維交渉を取材した政治部記者の、こんな証言が残っている。
 「米国の関係者や通産官僚たちも、一様に田中の弁論能力に舌を巻いていた。『弁舌の鮮やかさ、弁論の切り口、理解力、頭の回転の早さなど、どれを取っても当代一流』という声に集約されていた。例えば、言うべきことも、ハッキリ言う。『貿易とは、複数の国を相手にしている。貿易黒字の相手もあれば、赤字の相手もある。日本は米国に対しては黒字でも、産油国に対しては赤字だ。米国だって、同じではないか。2国間で、常にバランスを保たなければならないという考え方には無理がある』と、突き放したりもしていた。戦法は相手の論理に合わせ、相手の土俵に上がって理路整然と切り返すのが常だった。まさに、『決断と実行』を標榜していた田中流の交渉術だった」

 米国に対して、そうした姿勢で臨む一方、強固に安易な交渉妥結に反対する日本国内の繊維業者をどう説得するかもカギであった。
 そうした業者の幹部を前に、田中はこう言い切った。
 「君らの言う通り、主張はしてきた。しかし、このまま主張だけを続けていていいのか。主張だけでは、問題の解決はない。日米間の長期的国益を考えれば、多少、理不尽であっても、ある程度、米国の要求はのまなくてはならない。その代わり、日本の業者は責任をもって救済する」
 こうした国内業者との会談、説得は実に数十回にわたって行われたものだ。田中の解決への意気込みが伝わってくる。

 そして、通産相就任から3カ月、最後の日米間の政府間交渉が行われた。相手は変わらず、ケネディ大統領特使であった。田中は得意の数字を連発、説得に出、気迫で勝負する政治家らしく、ピシリとこう言った。
 「いいですか。あなたがこれを拒否すれば、日米間は大変なことになると思ってもらいたい。その場合の責任は、あなたにあることになるッ」
 ケネディ特使はこの“脅し文句”にほうほうの体で帰国、ついに交渉落着への決断を示すことになるのである。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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