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貞淑美女タレントの性白書 浅野ゆう子 元祖セクシーシンボルは締まり抜群“アラ還”超絶名器(1)

掲載日時 2018年02月01日 20時00分 [芸能] / 掲載号 2018年2月8日号

貞淑美女タレントの性白書 浅野ゆう子 元祖セクシーシンボルは締まり抜群“アラ還”超絶名器(1)

 「やはり、“独り寝の寂しさ”に耐えられなかったのだと思います」(芸能レポーター)

 女優の浅野ゆう子(57)が昨年末、結婚していたことが明らかになった。
 「お相手は服飾関係の会社経営者。彼女は57歳での“初婚”となりました」(ワイドショー芸能デスク)

 マスコミ各社に送ったファクスで『この年齢だからこそ、これからの人生を歩んでいこうと決めました』と、“寄り添い婚”を明かした浅野。
 「今回の結婚は、悲しみを乗り越えたものと言っていいでしょう」(芸能ライター・小松立志氏)

 2014年11月、浅野はそれまで7年間交際していた俳優の田宮五郎さん(享年47)を亡くした。
 「彼女が主演したドラマで共演し、親しくなったようです。田宮さんがクモ膜下出血で倒れた2012年に『懸命に病と闘っております』と交際宣言。“同居”して、闘病を献身的に支えました。芸名からも分かるように、彼は映画・テレビドラマの『白い巨塔』で知られる超二枚目俳優・田宮二郎(享年43)の二男です」(前出・ワイドショー芸能デスク)

 浅野は看病を続ける中で、田宮さんとの結婚を真剣に考えていたという。
 「彼の方も回復して、プロポーズする覚悟で約2年半闘病しました。しかし、思いはかないませんでした」(芸能関係者)

 最期をみとった浅野はしばらく憔悴。この頃、その“激ヤセ”ぶりが話題となった。
 「そんな浅野を慰め、励ましてくれたのが、彼女が“芸能界のお母さん”と慕っていた、昨年亡くなった野際陽子さんでした」(テレビ局関係者)

 その後、笑顔を取り戻し、女優として仕事に全力を注ぐ浅野を、結婚した男性が支えたとみられるが、ここで、浅野の芸能生活を振り返ってみよう。

 浅野は1960年7月9日、兵庫県神戸市生まれ。
 「父親とは幼い頃に生き別れたそうです。後に再会を果たしましたが、母1人、子1人で育ちました」(ベテラン芸能記者)

 小学校6年で、身長がすでに160センチあったことから、母親はいつも、
 「将来、あなたは宝塚(歌劇団)」
 と話していたという。
 「娘の芸能界入りを強く望んでいたお母さんは、ロッテが主催した『ミス・ロッテ』のコンテストに勝手に応募。結果は2位の“準ミス”でしたが、担当者から“本当は優勝だったけど、6年生では仕事を頼めない”と言われて、確かな手応えを感じたそうです」(前出・芸能関係者)
 その頃から、浅野は大人びていたのだ。

 直後、神戸・三宮の地下街でスカウトされた彼女は、中学1年で単身上京。所属事務所の寮で生活することとなった。
 そして1974年、『とびだせ初恋』で歌手デビュー。2曲目の『恋はダン・ダン』で、日本レコード大賞新人賞を受賞した。
 「今の人は、浅野が“アイドル歌手”だったなんて、ほとんど知らないと思います」(前出・ベテラン芸能記者)

 当時のキャッチフレーズは、『ジャンプするカモシカ』。また、カネボウ化粧品のCMで披露した水着姿でも話題になった。
 一方、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)にもレギュラー出演し脚光を浴びたものの、その後、スランプに陥ってしまった。
 「その頃のアイドル歌手は小柄が主流で、浅野のような日本人離れしたプロポーション(T167センチ、B83・W58・H88)の女の子はウケなかったんです。ちなみに、股下は83センチと“裕次郎クラス”。同ドラマでも、14歳の女の子が警察署の事務員役ですからね。相当きつかったと思います」(前出・テレビ局関係者)

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