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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ハルク・ホーガン」米国のプロレス観を一変させた“超人”

掲載日時 2018年07月09日 16時00分 [スポーツ] / 掲載号 2018年7月12日号

 ハルク・ホーガンは、世界のプロレス史を書き換えたといっても過言ではない。1983年の『第1回IWGPリーグ戦』で、アントニオ猪木を失神KOに追い込んだシリアスな試合ぶりから一転、WWF(現・WWE)でのホーガンは、入場テーマ曲『リアル・アメリカン』に合わせたポージングで会場を沸かせるパフォーマーと化していった。

 '83年、ニューヨークの有力プロモーションにすぎなかったWWFが、全米侵攻を開始すると、以後、アメリカのプロレス事情は一変する。
 それまで西海岸なら西海岸、南部なら南部と各地のプロモーターがそれぞれのテリトリーを守り、ご当地の興行ビジネスとして行われていたものが、テレビ放送を軸としたメディア産業へと様変わりしたのだ。

 全米制覇に向けて各地の人気レスラーが次々と引き抜かれる中で、そのトップに据えられたのがホーガンであった。
 '79年〜'80年にかけてはWWFで連戦連勝を飾って、“マディソン・スクエア・ガーデンの奇跡”と評されたが、これを離脱してAWAに移籍。'82年には出演した映画『ロッキー3』が公開され、絶大な人気を獲得することになる。
 しかし、AWAでは主宰のバーン・ガニアがレスリング技術に乏しい選手を軽視したため、パワーファイターのホーガンは王者になれず、そこに再び声を掛けたのがWWFだった。

 WWF離脱の要因は、ビンス・マクマホン・シニアが映画出演に難色を示したことであったが、同団体を継いだジュニアの意向は違った。映画スターとして知名度を高めたホーガンこそ“全米進出の主役にふさわしい”と考えたのだ。
 この見立ては、ズバリ的中する。'84年1月にアイアン・シークを破ってWWF王座を獲得すると、全米各地で防衛戦を行って、いずれも大盛況を収めた。だが、WWF&ホーガンの攻勢はこれにとどまらず、さらに加速していく。

 そのきっかけとなったのが、当時、人気急上昇中だった歌手、シンディ・ローパーとのコラボだった。
 まずはシンディが、女子レスラーのセコンドとしてWWFの興行に参加すると、続いてホーガンがシンディの土俵であるMTVに出演。音楽プロモーションビデオの全盛時で注目度抜群だった同チャンネルにおいて、ホーガンは流行に敏感な若者たちに“発見”されることになったのだ。
 「それまでのアメリカのプロレス人気は、主に労働者層のストレス発散の場として、あるいはマッチョ好きの人々の趣味や性向に支えられていました。日本人のファンがアメリカでプロレス雑誌を買おうとしたら、友人から『おまえはゲイなのか?』と言われたという話もあって、いわゆる家族そろって楽しむような健全娯楽ではない、どこか特殊なジャンルだったのです」(プロレスライター)

 しかし、ホーガンがシンディと並んでMTVに出演したことにより、その陽気でマッチョなキャラクターが広く一般にまで浸透すると、これが一種のブームになっていった。プロレスの王者としてではなく、新たなテレビタレントとして人気を得た格好である。
 そこでホーガンに求められたのは“分かりやすいプロレス”であった。試合そのもの以上に、入場時や勝利後のパフォーマンスが重視されたのだ。

 MTVの視聴者層が新規ファンとして集まり始めたことにより、プロレス会場はリング上の“スター”と観客が一体になって盛り上がる、まるでロックコンサートさながらの様相を呈していった。
 「ホーガンがスター街道を駆け上がっていった頃、日本のファンの間では『グリーンボーイだったホーガンが新日本に参戦し、プロレスを覚えて一流になった』などといわれましたが、実情は異なります。あくまでもキャラクターとしての人気だったわけです」(同)

 日本で学んだ成果がないわけではない。グラウンドレスリングや間合いの取り方が、来日を重ねるたびに格段に進歩したのは事実である。しかし、それらはアメリカでの成功の主因ではなかった。
 「インターネットもなくリアルタイムで試合を見られなかった当時、ホーガンがWWFで決め技として使っていたのは、猪木をKOした必殺のアックスボンバーではなく、日本では単なるつなぎ技にすぎないレッグ・ドロップ(ギロチン・ドロップ)でした」

 これに違和感を持った日本のファンも多かったはずだが、観客を盛り上げながらフィニッシュの場面をたっぷり見せるためには、レッグ・ドロップの方がふさわしい。WWFでの試合は強さを競うというよりも、ホーガンによるヒーローショーの意味合いが大きかったのだ。
 だが、そんなホーガンも日本での試合においては、日本流のグラウンドテクニックを披露することが常だった。ホーガン流の日本ファンへのサービスである。

 時と場合によってスタイルを変えるその柔軟性は、プロレスと格闘技を闘い分けた猪木に通じるものであり、それこそが日本でホーガンが学んだ成功の秘訣だったのかもしれない。

ハルク・ホーガン
1953年8月11日、アメリカ合衆国ジョージア州生まれ。身長201㎝、体重137㎏。得意技/アックスボンバー、レッグ・ドロップ。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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