彩川ひなの 2018年7月5日号

北朝鮮 金王朝三代 知られざるSEXヒストリー

掲載日時 2018年01月07日 18時00分 [社会] / 掲載号 2018年1月11・18日合併号

 “独裁国家”北朝鮮の最高指導者が、どこで誰と、どんな暮らしをしているかはトップシークレットだ。その理由は、もし北朝鮮国民が金王朝三代にわたる堕落した私生活を知ってしまったら、今まで営々と築いてきた“神格化”が瞬時に崩れ落ちるからである。

 独裁者が最後に願うのは「不老長寿」だ。健康オタクだった故・金日成(キム・イルソン)国家主席は、この悲願達成のため1976年に『基礎医学研究所』(金日成長寿研究所)を設立。全国から優秀な人材を集め、金に糸目を付けない奇妙な健康法に明け暮れた。独裁者は82歳でこの世を去るが、当時の北朝鮮男性の平均寿命67歳を大幅に上回る長寿を全うしている。
 そのためか、日成の精力は抜群で、晩年には故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男・正男(ジョンナム)と同い年の金賢(キム・ヒョン)という隠し子を直属の看護婦に産ませている。

 一方、正日は自分と、そんな父親・日成の女性問題については徹底的に秘匿し、こうした事実を口外した者は容赦なく政治犯収容所にブチ込んだ。『朝鮮人民軍協奏団』出身の女優でもあった脱北者、金英順(キム・ヨンスン)さんが収容所に入れられ、9年間も地獄の苦しみを味わったのは、友人でもあった成恵琳(ソン・ヘリム)が正日の“愛人”であることを知ってしまったからだ。
 「金賢は、張成沢(チャン・ソンテク)?金敬姫(キム・ギョンヒ=正日の実妹)夫妻の養子として育てられました。マレーシアの国際空港で暗殺された正男と同年生まれですから、還暦を迎えた日成と30代の正日が同じ時期に親子で“不倫”していたというわけです」(北朝鮮ウオッチャー)

 日成には3人の夫人がいた。抗日パルチザンの同志で「国母」と呼ばれた金正淑(キム・ジョンスク)との間には、正日、敬姫以外に次男・万一(マンイル='47年に溺死)という男子をもうけている。正淑と結婚する前の韓聖姫(ハン・ソンヒ)という最初の夫人については不明な点が多い。'53年に金聖愛(キム・ソンエ)を愛人とし、その後に再婚。三男に当たる平一(ピョンイル)をはじめ二男一女をもうけた。平一は異母兄である正日との権力闘争に敗れた後、ハンガリーやブルガリア、フィンランド、ポーランド大使を務め、現在はチェコ大使に就任している。
 「後に正日の妻となる“愛人”成恵琳の甥の李韓永(イ・ハニョン)氏は、'82年に韓国に亡命し、'96年に金ファミリーの女性関係を暴いた手記『金正日ロイヤルファミリー』を出版したことから翌年に暗殺されています。命じたのは、当時、後継者と目されていた正男だといわれています」(同)

 正日は日成の後継者としての地位を確立するため“枝”を切り出す。
 父・日成の実弟、金英柱(キム・ヨンジュ)を失脚させ、正日政権下においては、生母ではない後妻の聖愛の存在を示す過去の記録をすべて抹消し、異母弟の平一を“枝”に規定し、前述のように国外にはじき出した。
 「正日の“枝”の切り落としは、幼い頃に始まっています。実弟の万一は、4歳で溺死したとされていますが、親の愛が弟に向けられていることへの嫉妬から、自ら池に沈めたというのが定説です」(同)

 正日との間に子供をもうけた女性は、夫人、愛人を含め、これまで9人いるとされる。この中で中国やロシア、西側情報機関が確認している正日の夫人およびその子は、第一夫人(実際は愛人)が正男の母親である成恵琳。第二夫人が金英淑(キム・ヨンスク)で長女=雪松(ソルソン)、次女(=名前不明)の母。第三夫人が高英姫(コ・ヨンヒ)で次男=正哲(ジョンチョル)、三男=正恩(ジョンウン)、三女=与正(ヨジョン)の母。そして、第四夫人の金玉(キム・オク=子供がいるかどうか不明)だ。
 正日の女性関係の特徴は、第一に“重複”、第二に“水揚げ”である。また、愛人たちを調達するための“草刈り場”が、前半は芸術団に所属する女優たちであり、後半は『喜び組』だったということも明らかになっている。

 韓国に亡命した中での朝鮮労働党序列最高位は、チュチェ思想を確立し人民統制を確立させた黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)氏だが、正日の性癖を間近で垣間見た彼の証言によると、正日は金日成総合大学卒業後、芸術指導と称して権力をカサに女優の体を有無も言わさず奪ったという。そんな黄氏は、正日後継問題が浮上した際、「王は最も愛する王女の子を指名する」と、儒教国家の権威意識からは長男・正男が正当とする見解を排除し、正恩ではないかと言い当てている。
 「正日は、物色した女優の1人に夢中になり、父親である日成に『結婚したい』と懇願しましたが、『女優はふさわしくない』という理由で反対されてしまいます。しかし、正日はその女性を忘れられず、別荘に呼んでは密会を重ね、関係を持ち続けました。そうした中で出会ったのが、やはり女優の成恵琳です。当時の正日は党宣伝扇動部の副部長でしたが、まじめに仕事などせず、映画撮影所に入り浸っては女優をあさるのに夢中でした」(北朝鮮に詳しいジャーナリスト)
 年上の子持ちの“熟れた女”を見初めた正日は、'69年に同棲を始める。この略奪婚は成恵琳33歳、正日が28歳のときだ。まるで日活ロマンポルノ風だが、実話である。

 折しも長男・正男の存在を父親の日成には隠すことができたが、正日にとっては間の悪いことに結婚話が進行中だった。日成は30歳をすぎても放蕩の限りを尽くす正日を落ち着かせようと、ふさわしい相手を探していた。
 こうして、父親に勧められるまま結婚したのが、金日成執務室でタイピストをしていた金英淑である。不倫の子を産み、さらに認知もされず、身分は愛人にすぎない恵琳は、正式な夫人の出現に精神を病むようになる。正日は'73年秋、モスクワのクレムリン病院に彼女を緊急避難させた。
 一方、英淑の生年は諸説あって定かではないが、北朝鮮では最上級の成分(身分)である革命家の次女で、金日成総合大学を出た後は党宣伝扇動部に所属していたエリートであることははっきりしている。

 正日と英淑は日成の“唯一後継者”が極秘決定された'72年12月前後に結婚したといわれる。ファーストレディーの地位を約束された正妻でもある英淑は、平壌市の普通江区域西将洞にある西将洞官邸で暮らすようになった。この地名から、他の“つまみ食い女”と区別するために「西将洞の女」と呼ばれた。
 英淑の長女・雪松は、晩年に糖尿病の合併症が深刻化した正日に寄り添う姿が確認されている。軍や党に父の名代として命令を下す権力を持っていただけに、正恩政権確立直後は、彼女なしに北朝鮮の内政は機能しなかったことは想像に難くない。

 英淑は親が勝手に決めた相手だけに、容貌などは正日好みではなかった。この「西将洞の女」に対して「鉄峰里の女」と呼ばれたのが、大阪生まれの在日出身(帰国者)、高英姫だ。'53年、16歳で父母に従って北朝鮮に渡った英姫を知る人々は、今も大阪に存在する。
 英姫は'72年に踊り子として『万寿台芸術団』に入団し、同芸術団の'73年、'74年の日本公演では来日している。英姫は、'75年頃から正日の主宰する秘密パーティーに参加し、翌年には、英淑の容姿に不満を抱く正日に囲われた。秘密パーティーには、踊り子などをえりすぐり、『喜び組』として派遣されるのが常だ。その中から、英姫は水揚げされたのである。そして'79年から蒼光山官邸(26号邸)に住むようになるが、自らは乳がんを患い、ヨーロッパから医療チームを呼んだり、フランスの病院に入院するなど治療に努めたが、2004年夏に死去した。

 英姫が床に伏している間、将軍様の“下半身”の世話人となったのが、夫人秘書の金玉だ。玉は'64年生まれで、平壌音楽舞踊大学を出た後は『旺戴山軽音楽団』で電子ピアノなどを担当していた。このグループは三池淵組(=サムジヨン)と呼ばれる電子ピアノ1人とギター2人から構成される器楽組だが、これも秘密パーティーに呼ばれる『喜び組』の一つだった。英姫と同様に、玉もここで水揚げされている。
 玉と並行してナ・ヘギョン(字不明)という5番目の夫人とされる存在も発覚したが、この女性も平壌音楽舞踊大学の出身だ。他にもマカオにおける正日の秘密資金を管理していた鄭日順(チョン・イルチョン)や、同じくモスクワで正日身辺の何らかの資金管理をしている孫姫林(ソン・ヒリン)という夫人らしき存在は知られているが、結婚年月日など、その生活ぶりは確認されていない。ただ、それぞれに正日との間に生まれた子がいるのは確かなことらしい。

 「正日の死去後、絵に描いたような“お坊ちゃん”キャラの正恩が登場したとき、世界中のメディアが注目したのが『喜び組』2000人の下半身事情です。彼女たちは性の奉仕をする『満足組』、マッサージ担当の『幸福組』、歌や踊りでもてなす『歌舞組』に分かれ、酒池肉林の世界で将軍様の正日や党・軍の高官たちを喜ばせてきました。身長の低い将軍様は控えめなスレンダー美人を好みましたが、正恩は早急な人心掌握目的もあって、このとき一気の“大量払い下げ”を行ったとされます。軍や党の高官たちによる奪い合いと凌辱に彼女たちがどうなったのか、容易に想像できます」(前出・北朝鮮ウオッチャー)

 そんな当代の金正恩委員長は'13年夏、父・正日の妹婿で伯父に当たる最側近の張成沢党行政部長(当時)を突如、公開処刑した。この情報はすぐさま世界中に知れ渡ったが、実はこのとき、張だけでなく、張の過去の“ある一件”を知る立場の幹部や関係者たち総勢3000人が、処刑されたり収容所送りとなった。
 真相は、正恩の妻・李雪主(リ・ソルチュ)が張の元愛人であったことが発覚したからだ。張は妻の敬姫を介して正恩に雪主を紹介し、その後に彼女は妊娠したことで2人は極秘に結婚。その後、長女・主善(チュソン)と次女・主愛(チュエ)をもうけた。
 ところが、正恩は前二代と異なり、夫人を表舞台に頻繁に連れ出したからその存在が国内外に知れ渡り、その中で、雪主夫人と張との過去のウワサを耳にすることになる。激怒した正恩は、その過去を大粛清で抹殺してしまうのだ。
 そのこともあってか正恩は今年に入り、夫人とは別の女性に男児を産ませている。逆上した夫人は直ちにその男児を奪い取り、自分の息子として育てることを宣言して、生みの母親を粛清したという。
 韓国の国会では、今年8月下旬になってから、国家情報院が「雪主夫人に3人目の子どもが産まれた」と報告しているが、実情はそういうことらしい。

 緊迫する朝鮮半島情勢が悪い方に流れれば、三代にわたる金王朝も、そこで終焉を迎えるだろう。“四代目”に当たるこの男児の末路は、哀れという言葉以外に思い浮かばない。

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