RaMu 2018年12月27日号

田中角栄「名勝負物語」 第三番 石原慎太郎(2)

掲載日時 2018年12月03日 06時00分 [政治] / 掲載号 2018年12月13日号

 颯爽として国政の場に登場した石原慎太郎は、3年後の昭和46年(1971年)6月の総選挙に、それまでの参院議員を辞めてクラ替え出馬、衆院議員に転じた。参院議員では、将来、目指す首相の座は難しいことを知ったようである。いわゆる“タカ派集団”の「青嵐会」を結成したのは、衆院議員に転じたその翌年のことだった。

 一方の首相の座についた田中角栄は、世論の「今太閤」「庶民宰相」の声のもと、早々と「日中国交正常化」に踏み切ると同時に、「日本列島改造論」を推し進めた。しかし、この改造計画は第4次中東戦争による原油価格の高騰などでかげりが生じ、金脈・女性問題を報じられたことから、約2年半で首相退陣を余儀なくされることになった。

 その頃の石原は、「青嵐会」をバックに、自信満々、まさに怖いものなしの勢いであった。当時の自民党担当記者の弁が残っている。

 「発言も誰はばからずの態で、田中角栄は『ポンチ絵(マンガ)の典型的な成り上がり』とこき下ろされていた。クソミソだった。同様、他の大物政治家も一刀両断だった。一方の田中といえば、内心は頭にきていただろうが、青嵐会もそのうち下火になるとにらんで、表向きは一切の反論はしなかった。『青嵐会の連中は、オレがオレがの奴ばかり。これでグループがもつわけがない』と言っていた。政権の座を降りた田中は、ひたすら派閥の引き締めと拡大に腐心。影響力温存に躍起だった」

 その頃、石原は『文藝春秋』に「君 国売り給うことなかれ―金権の虚妄を排す―」と題する論文を発表、田中を評して「人間としても政治家としても、金権以外はない。彼はインプットの狂ったコンピューターつきのブルドーザーだ」(要約)とまで言い切っていた。その論文発表から約半年後、今度は衆院議員を辞職、東京都知事選出馬を決めることになるのである。

 当時の現職都知事は革新系、無党派層から圧倒的支持の高かった“お茶の間の経済学者”美濃部亮吉であった。自民党が時に「3選」目となるこの美濃部の牙城を崩すのは、並みの候補ではとてもかないそうもなかった。首相だった三木武夫、幹事長の中曽根康弘は、同じ学者の一橋大学の都留重人学長などに打診したものの、“美濃部人気”にみな尻込み、候補は二転三転した。結局、白羽の矢が立ったのは知名度では群を抜く石原だった。前出の自民党担当記者の続きの弁。

 「石原擁立に熱心だったのは、とくに気心が合っていた中曽根幹事長だった。万が一、敗退したときは、中曽根が責任を持って石原の国政復帰の道をつくるとの“密約”もあったとされた。石原が出馬を決断したのは、いくら田中角栄批判をしても、田中の党内影響力は落ちないことでのやんぬるかなの気持ちの一方、権力志向もうかがわせた人物だけに、大都市東京のトップの座も悪くないとの思いもあったのでは、とみる向きもあった」

★石原、人生初の挫折
 じつは、この石原の都知事選出馬に際し、田中との間に“微妙な話”が残っている。あれだけ田中を批判、嫌っていた石原が、出馬のあいさつに密かに田中のもとを訪れていたというのである。「一度は角さんにあいさつに行ったほうがいい」との、中曽根の助言によるものだったというのがもっぱらである。

 大学卒業と同時に田中事務所に就職、以後、田中が病魔に倒れるまで秘書として務めた朝賀昭の言葉を借りた『角栄のお庭番 朝賀昭』(講談社・中澤雄大著)では、朝賀が鬱憤を交えて、次のように言っている。

 「(石原は)当時、田中事務所のあった砂防会館の裏口からやってきた。あれほど『金権政治家』と批判していたにもかかわらず、背に腹は替えられないということか、オヤジ(田中)さんに人目につかないように支援を申し入れに来たのだった。一方、オヤジさんは、『おお、よくぬけぬけと来たな』などということは絶対に言う人ではなかった。むしろ懇ろに応対し、気持ちよく帰ってもらうような気遣いの人だ」(要約)

 石原との面談も、こうした中で行われたとしている。ここに出てくる「支援」が選挙資金の援助を意味するのか、また、それが現実にあったのかは当事者しか分からない。田中は誰に対しても、資金援助をしたことを口にする人物ではなかったし、石原もその辺は明らかにしていない。このときの「支援」が資金援助だったことは想像に難くないが、これは“藪の中”というよりほかはない。

 さて、都知事選の結果は、30万票の大差をつけられて石原が敗北した。石原、時に42歳。人生の“黒星”を味わったことのない「スター」の初の挫折と言ってよかった。このときの心境を、石原は『青春の条理に殉す わが都知事選奮戦記』(『文藝春秋』昭和50年6月号)で、次のように記している。

「かつて田中角栄氏と闘ってきたときに口にした、田中氏を倒すのも美濃部氏を倒すのももともと国のためという、極めて素朴な判断に還って私はこの選択を行なったのだ。その闘いを終えた今、成果は別にして、私は一人の政治家として、一人の男として、あるいは私個人の感傷かも知れぬが、ひとつの責任を果たし得た満足の感慨でいる」

 自信家であっただけに、人生初の“黒星”の悔しさが滲み出ていた一文でもあったのだった。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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