遠野舞子 2019年3月7日号

田中角栄「名勝負物語」 第四番 三木武夫(4)

掲載日時 2019年01月21日 06時00分 [政治] / 掲載号 2019年1月31日号

「三木のバカヤロッ」
 ロッキード事件による逮捕、保釈からしばらく経って、田中角栄は好きなゴルフを再開した。ドライバーを打つとき、こう言って打つと、「よく飛ぶんだ」と冗談めかして言っていた。ただし、側近ら口々の「三木はけしからん。惻隠の情もない」との言葉に対し、田中は人前で三木を名指しで批判することはなかったのだった。保釈後、初めて会った神楽坂の“別宅妻”の前で、いかにも悔しそうに「アメリカの差しガネで、三木にやられた」と口にした以外は、である。

 しかし、三木の“独走”に対する自民党内の批判は、「三木おろし」の気運を一気に高めていた。早や田中逮捕から1週間ほど経った昭和51(1976)年8月4日、まず田中派から公然と「三木退陣」の声が上がり、同月19日には「ポスト三木」に色気十分の福田赳夫率いる福田派、さらに田中の盟友・大平正芳率いる大平派、三木首相“生みの親”の椎名悦三郎率いる椎名派など中間派も結集し、「人心を一新して挙党体制を確立する」との名目で挙党体制確立協議会を立ち上げ、数の力をバックに三木に退陣を迫った。集中砲火の「第2次三木おろし」の勃発である。福田派幹部からは、「見ていろ。これから“忠臣蔵”が始まるぞ」との声が出たものだった。

 これに対して、三木は衆院の解散をチラつかせながら応戦、一歩も引こうとはしなかった。しかし、いかんせんの少数派、結局のところ解散権を行使できないまま、戦後唯一だった任期満了による衆院選を余儀なくされることになる。

 結果、この年の暮れの衆院選では、「またぞろの党内抗争か」などと世論の集中砲火を浴びた自民党は苦戦を強いられ、終わってみれば249議席と前回より22議席も減らし、昭和30年11月15日の自民党結党以来、初めて過半数を割る事態に陥った。この選挙で、田中は逮捕という衝撃をはねのけて旧〈新潟3区〉で16万8000票を獲得してトップ当選を果たした。少なくとも地元・新潟では健在を証明、田中のこれから始まるロッキード裁判への対峙、政局をにらむ意欲を高めたものであった。

 一方のしたたかさで鳴った三木も、さすがに敗北を認めざるを得ず、責任を取る格好でついに首相辞任を表明した。その三木の後継は、「三木おろし」工作を推進した福田に回った。思惑がズバリ“的中”し、まんまと首相の座に就くことができたのであった。

 退陣後はさしもの三木も、少数派閥だけに大派閥を率いる田中のようには、苦境をはね返す余力はもはやなく、以後、急速に影響力を失っていった。「飛び乗り、飛び降り名人」とも言われた往時のエネルギーはなく、派閥も間もなく三木派幹部だった河本敏夫に譲ったものだった。

★生き残る“便法”の両雄
 その後の三木は、河本派における若手議員の相談役的立場の一方で、趣味の読書や書、油絵の筆を取ったりの日々であった。

 昭和58年、「もし夫人がオチンチンをつけて生まれていたら、間違いなく三木より早く首相になっていた」との声もあった“女丈夫”で知られる妻の睦子が、陶器の作品展を開いた。睦子の作陶歴は長く、その出品作の一つに、睦子は「武夫よ、黙すなかれ」との題をつけたのだった。しかし、これには長女らが反対、ようやく睦子を説得して「武夫よ」だけは削らせたというエピソードがある。暗に、田中角栄への金権批判を含め、徹底して「既成政党の浄化」「悪弊の打破」を掲げてきた夫の“沈黙”を、この女丈夫はガマンができなかったということのようであった。

 閑話休題。筆者は三木が首相になる前から、田中派の取材が多かったが、どういうものか退陣後の三木はよく取材に応じてくれた。時には、東京・渋谷区松濤の自宅のリビングで、出前の寿司をつまみながらの話もあった。リビングといっても造りはかなり質素で、言うなら台所といったおもむきであった。生活を楽しむことに興味がなく、生涯にわたって「政治」以外に頭の回らなかった三木の素顔がのぞけたものであった。

 そうした三木とのやりとりは、いくつか記憶に残っているが、印象深い言葉がある。“宿敵”田中に触れた部分だが、意外と遺恨めいた話は出なかった。

「田中君ね。彼も苦労してあそこまでいった人物だ。政治家としては、優秀だった。ただ、政治一筋の人生だった僕とは、政治に対する目線が違っていたということだろうね。まぁ、僕は精一杯やったという思いはあるよ」

 一方の田中も、三木をおおやけに批判したことはなかった。長い田中取材から、筆者は田中の「三木観」を次のように憶測している。

〈政治の原点は、あくまで国民のためということだ。三木はしたたかな政治家だが、政治一筋の人生だっただけに、ある意味で政治を純粋に見る部分があった。泥水をすくって飲んだオレの人生とは違う。三木を恨む気持ちは、毛頭ない。人生は、生きた道程で物を見る目線が違って当然だ。政界では、それを超えなければ生き残れないということに過ぎない――〉と。

 生き残るための“便法”が、「クリーン三木」の“仮面”との戦いを演じた田中の、じつは“胸中”であったような気がするのである。
(文中敬称略/次回は小沢一郎・自由党代表)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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