遠野舞子 2019年3月7日号

国道17号線沿いで起こった八大陰惨殺人事件

掲載日時 2019年01月21日 12時00分 [事件]

◎秋葉原事件差別殺傷事件(東京都千代田区)
08年6月8日、秋葉原で7人の命を奪った加藤智大死刑囚。青森県内の進学校で挫折を経験し、その後は自動車工場で期間工などをやりながら生計を立てていた。少なからず友達もいて、社交的な性格だったようだが、彼にしか分からない不満を抱えていたことが犯罪へ繋がったことは想像に難くない。ネットに依存した生活を送っていたと言われている。

◎東電OL殺人事件(東京都豊島区)
97年、東京・渋谷にある時代に取り残されたような古ぼけたアパートの一室で、東京電力の幹部OLが刺殺されているのが発見された。彼女は、昼間はOL、夜はこの界隈で立ちんぼをしていたことから事件は世間の注目を集めた。事件後、ネパール人男性が逮捕されたが、後に冤罪だったとして釈放。彼女を殺害した男の行方は杳として知れない。

◎桶川ストーカー事件(埼玉県桶川市)
99年10月26日、桶川駅前の路上で白昼堂々、女子大生の猪野詩織さん(事件当時21歳)が刺殺された。犯人は池袋で風俗店などを経営していた元交際相手の小松和人ら3人で、犯行以前から小松らは猪野さんに誹謗中傷などのストーカー行為を繰り返していた。猪野さんは何度も地元・上尾署に相談に行ったが相手にされず、警察の怠慢が大きな社会問題となった。

◎熊谷ペルー人無差別殺傷事件(埼玉県熊谷市)
15年9月13日、住所不定無職のペルー人男性が熊谷市内の民家の庭に侵入。通報を受けた警察が駆けつけ熊谷署へ案内したが、警察官が隙を見せると逃走。すると翌14日、同市内の住宅で夫婦2人が殺害され、その後も小学生2人を含む合計6人が殺害された。犯人は自殺を図った後に回復したが、犯行に関して現在も「やっていない」と否認しているという。

◎埼玉愛犬家殺人事件(埼玉県熊谷市)
「透明なボディーにしてやる」―埼玉愛犬家殺人事件の関根元死刑囚が吐いた言葉だ。犬の取り引きを巡るトラブルなどから4人を殺害。立証された殺人が4件だけで、もっと殺しているという証言もある。犬を薬殺する毒薬を栄養剤だと偽って飲ませ、死体を解体して内臓はきれいにはぎ取り、骨は焼却して灰にするなど、文字通り透明にして操作を混乱させた。

◎本庄保険金殺人事件(埼玉県本庄市)
00年3月24日、埼玉県警は金融業・八木茂と、八木の愛人3人を逮捕した。八木は95年、3億円の保険金をかけて偽装結婚させていた45歳の男性に毒入りのあんパンを食べさせて殺害。ほかにも同じような手口で計3人を殺害していた。八木は逮捕まで240回にわたってテレビ出演し、出演料を受け取っていたが、八木には死刑判決が確定し、愛人らも獄に下っている。

◎大久保清連続婦女暴行殺人事件(群馬県内)
昭和の殺人事件で最も有名な犯罪者の一人が、大久保清だろう。ベレー帽をかぶり「絵のモデルになってくれませんか?」と、目にとまった女性に声をかける。ナンパされた女性は、つい乗り気になったに違いない。大久保はこうして1000人以上の女性に声をかけ、うち十数人と性的関係を持ち、8人を殺害したが、76年1月22日、死刑に処された。

◎連合赤軍事件(群馬県内)
新左翼運動が盛んだった当時、連合赤軍の山岳ベース事件(71 〜72年)では、同志12人がリンチにより殺害され、その犯行を主導したのが森恒夫、永田洋子らだった。「総括」の名のもとに殺されたメンバーは、榛名山中に埋められていた。逮捕後、森は73年に自殺。永田は獄中で脳腫瘍となり、死刑執行されることなく11年に東京拘置所内で病死した。

 国道17線沿いでいかに血と金と欲望にまみれた事件が多発していることか、お分かりいただけることだろう。

 なぜ、国道17号線沿いで、これら陰惨な大事件が多発してきたのか。それは、この街道のルーツに起因していると思われる。

 国道17号線のルーツは、江戸時代以前から江戸と越後を結んだ三国街道、そして中山道である。江戸時代において代表的な街道となり、街道筋の街は繁栄、付近には自然と人と金が集まった。この三国街道、そして中山道が脚光を浴びるのは、江戸時代中期に上州や武州(主に現在の群馬や埼玉)で盛んになった養蚕の影響が大きい。養蚕は換金作物であり、付近の農村を潤したことで、自然と遊び人と呼ばれた現在のヤクザの前身となる者たちを生み出したのだ。彼らは、人と金が集まる北関東の農村や中山道、三国街道の宿場で盛んに賭場を開いたのである。その代表的な存在が、国定忠治である。ちなみに中山道69宿のうちで一番栄えていたのは、本庄宿であったと言われている。養蚕がもたらす現金は、人を集めたのだった。

 北関東に人と金が集まるようになると、当然ながら人心は乱れ、治安は悪化した。そのため、幕府は風紀を引き締めるために、1805年に関東取締出役という出先機関を設け、遊び人や無宿人たちを取り締まった。

 つまり、江戸時代の中期には、中山道や三国街道といった17号線の前身の街道において、犯罪の温床ができあがっていたのだ。

 さらに時代が下り、明治時代に入っても本庄の繁栄は続き、東京から遷都すべきだと唱える者もいたほどだった。そして、今も北関東に公営のギャンブル施設が目立つのは、この土地の持つ歴史と無関係ではない。

 現在においても、北関東には自動車工場や食品工場が数多くあり、日本経済の重要な役割を担っている。工業地帯で必要とされるのは、安い労働力である。ここに南米を中心とした外国人のコミュニティーができているのは、こういう理由がある。

 一方で、労働者として日本にやって来た外国人による犯罪は後を絶たない。2015年、熊谷で起こった事件は、行き詰まった彼らによる象徴的な事件かもしれない。

 17号線という東京と北関東、新潟を結ぶ幹線道路は、昔も今も日本経済の大動脈であり、常に様々な国と地域から人を集め続ける。それ故に、犯罪は宿痾のように17号線沿いの地域で起こり続けるのである。


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