紗綾 2019年8月1日号

田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(5)

掲載日時 2019年02月25日 06時00分 [政治] / 掲載号 2019年3月7日号

田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(5)
小沢一郎

 「秘蔵っ子」としての小沢一郎をどう育てるか、具体的には内閣・党の中でどういうポストを踏ませて政治家としての階段を上らせるか、田中角栄は慎重に接したようだった。他の自民党若手議員を政務次官に登用しても、あえて小沢は“後回し”としたのである。獅子がわが子を谷へ落とし、這い上がってくるのを待つといった故事にも似ていた。

 ために、小沢は田中内閣では要職に就くことはなく、田中はあえて田中派の事務局長ポストに就けた。事務局長は派閥をまとめる事務総長を補佐する立場だが、実権はほとんどない。ただ、事務総長の下で何くれとなく汗をかいていると、派閥の人間関係が見えてくる。そのことにより、政治のイロハもぼんやり見えてくるのである。田中は小沢の将来を見据えて、事務局長を政治家への“スタートライン”とさせたということだった。

 一方で、事務局長は派閥議員の選挙の下働きをすることも、重要な仕事である。小沢は選挙通として聞こえた田中からの直伝の一方で、さらなるキメの細かい選挙の要諦を盗み取っていたのだった。

 選挙は「風」だけに頼っていて勝てるものではなく、地味な“ドブ板”戦術でどれくらい汗をかいたかが、勝つための基本となる。そのうえで企業や業界団体などに頭を下げてのテコ入れで、いささかの劣勢があっても挽回が可能だというノウハウを学んだのだった。当時の小沢を知る元田中派担当記者の証言がある。

「口の重い男だったが、企業、団体回りをよくやっていた。頭を下げるだけでなく、回ったあとは必ず丁寧な礼状を出していたのが印象的だった。後年、よく言われた『根回し不足』は、まるでウソみたいだった。これも、田中が平素からやっていた企業などの協力に対し、直筆の礼状を書いていたのを“門前の小僧”で見習ったものだったのです。

 昭和51(1976)年12月の小沢の3回目の選挙は、田中がロッキード事件で逮捕、起訴されたあとの『ロッキード選挙』だった。しかし、ここでも小沢は自分の選挙区に張りつくことなく、田中派若手議員などの応援に全力投球していたものです。ために、さすがに田中から、『バカ野郎ッ。そんなことをやっていたら、おまえは勝ち上がれないぞ』と一喝されていた。それでも、小沢は最後まで自分のスタイルを崩さなかった。

 あとで田中は言っていた。『アイツは、人のできないことを黙々とやる。大したもんだ。こういう奴が伸びるんだ』と、感心しきりだった」

 こうしたうえで、小沢は三木(武夫)内閣で初めて科学技術政務次官に就任、「ロッキード選挙」で当選を果たしたあと、建設政務次官に就任することになる。このポスト、じつは田中の強い推輓によるものであった。

 建設政務次官就任は、大きく2つの“意味”があった。建設省は田中角栄ならびに田中派が圧倒的影響力を持つ“牙城”であり、また課長クラスが小沢の父・佐重喜が建設大臣だった頃、まだ入省して間がない若手だったという経緯があった。つまり、建設省は小沢にとって“働きやすい”ポストであったとともに、田中の「親心」ということでもあったのである。

 なるほど、こうした背景があったことにより、建設省役人は小沢の政務次官就任に“歓迎の意”を示した。課長クラスによる懇談会の場としての「小沢一郎を囲む会」なども、自然発生的にできたのだった。

★田中いわく「小沢はナタの魅力」

 それでは、この頃の小沢の議員としての“実力度”はどんなものだったのか。筆者は、当時、田中派幹部だった竹下登から、こう聞いたことがある。

「最大の武器として、“デスク・ワーク”ができたことがある。ここで言うデスク・ワークとは、法案をつくる際の実務ということです。小沢は、若いが法系のドラフト(草案)を描ける。例えば、同世代の政治家でこれができるのは、小沢より当選2回上の“橋龍”(のちに首相の橋本龍太郎)くらいしか頭に浮かばない。小沢が学生時代、司法試験に邁進していたのは、その後、政治家として大変なプラスになっている。とにかく、小沢の頭の中には六法全書が焼き付いている感じがしたものだった。

 一方で、ヘタに弁護士として法律のプロになると、ともすれば法の“抜け道”だの“拡大運用”といったところに目が向きがちになるものだが、小沢はそうしたところもなかった。プロにならなかったことにより、物事を論理的に法体系の中で見たり、法律の原理原則という段階にとどまって冷静な法律解釈ができた。田中さん(角栄)が買っていたのも、そのあたりにあったのだと思う」

 ここで出てくる小沢に対しての「原理原則」という言葉は、まさにその後の政治家・小沢一郎のキーワードとなっている。その厳しさは一貫し、その姿勢で良くも悪しくも政局へ一石を投げ続けることになる。

 首相当時、田中角栄は田中派の若き期待の星として橋本龍太郎と小沢一郎を挙げ、次のような“短評”を与えていたものだ。

「橋本、何でもこなせる秀才だ。カミソリの切れ味がある。一方の小沢、こちらは派手さはないが、ドスンと切り落とすナタの魅力がある」

 その小沢が一気に政界の表舞台に踊り出るのは、昭和60年2月、田中が病に倒れてからとなるのである。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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