RaMu 2018年12月27日号

田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(10)

掲載日時 2018年11月22日 06時00分 [政治] / 掲載号 2018年11月29日号

 長かった「角福戦争」に、ようやく幕が下りるときがきた。昭和47年(1972年)の「角福総裁選」から8年後に、田中角栄の「盟友」である大平正芳が急死したのだ。

 大平は福田赳夫ら自民党内反主流派との熾烈な党内抗争「40日間抗争」を、田中の全面バックアップでしのぎ政権2期目を手にしたが、その後も抗争の後遺症を引きずり、政権運営は盤石とはほど遠いものだった。ときに、昭和55年(1980年)6月、大平は政権基盤強化を策し、前回総選挙からまだ9カ月の中で再び総選挙に打って出た。

 ここでも田中の“知恵”が出た。田中はこの衆院選と参院選を同時にやれば、野党の選挙戦略が崩れることから、「絶対勝てる」として「衆参ダブル選挙」の強行を大平に迫った。史上初のダブル選である。その選挙期間中、大平は狭心症を発症し、急死したのだった。選挙結果は、田中の思惑通り野党の選挙戦略が崩れた一方で、大平急死という「弔い選挙」での“同情票”も重なり、衆参とも自民党が圧勝した。福田をはじめとする反主流派からは、「田中にしてやられた」の声が出たものである。

 しかし、自民党にとっての次なる課題は、大平亡き後の総裁を誰にするかであった。すでに、意気消沈の反主流派に候補を立てるエネルギーはなく、結局、党実力者による話し合いでの選定となった。そこで挙がった名前は、すでに総裁選出馬歴のある中曽根康弘、河本敏夫、そして大平派の幹部で「プリンス」と呼ばれた宮澤喜一であった。

 このうち最有力とされた中曽根は、先の大平内閣不信任案採決時に寝返ったとして福田が難色を示し、宮澤については田中が断固拒否した。河本はすでに三木派を継いでいたが、先代となる三木武夫にはさんざん痛い目に遭わされている田中、福田ともにノーであった。ちなみに、田中と宮澤は性格、政治手法すべてが異なり、「犬猿の仲」として知られていた。こんな元田中派担当記者の証言が残っている。

「“秀才”として知られた宮澤は酒が入ると青くなり、相手を理論で追い詰めるヘキがあった。田中と宮澤はたった一度だけ酒席をともにする機会があったが、その後、田中は言っていた。『アイツは秘書官なら一級だが、食えん奴だ。政治家としてはダメだ』と。以後、二度と酒席をともにすることはなかった」

 結局、総裁の座に座ったのは、宮澤と同じく大平派の幹部でもあった鈴木善幸だった。鈴木の後継は、「本籍・田中派、現住所・大平派」と揶揄されたように田中に近く、「闇将軍」の強い影響力によるものであった。

 しかし、この鈴木は国民の知名度も低く、海外メディアから「ゼンコー・フー(誰)?」の声も出た。鈴木自らも総裁に選出されたときの挨拶で、「もとより私は総裁としての力量に欠けていることを自覚しております」としたくらいだから、2年ちょっとで“お払い箱”となっている。政権がしっかりしてくれなければ、自らの影響力低下につながることを危惧した田中に、「早く芝居の幕を上げないと客は帰ってしまうぞ」と尻を叩かれたが、結局、何ら実績を残すことなく、田中に見限られたということだった。

★落日の「闇将軍」
 田中はなお、「闇将軍」として君臨、鈴木のあとは中曽根を推した。中曽根は田中への恩を返すべく、初の組閣では田中派からじつに7人の閣僚を迎え入れ、しかも自派から出すのが通例とされる官房長官のポストに田中の腹心中の腹心、後藤田正晴を登用したものである。かくて、田中の影響力があまりに露骨だったことから「田中曽根内閣」「直角内閣」と揶揄されたのであった。

 しかし、中曽根内閣は当初はさんざんの世評だったが、ジワリ持ち味の「風見鶏」、すなわち絶妙のバランス感覚を発揮し、「戦後政治の総決算」という大テーマの中で約5年の長期政権をまっとうしたのだった。

 一方で、この中曽根政権の誕生は、同時に首相退陣から時間の経っていた福田赳夫の存在感を薄めるものとなった。なぜなら、福田と中曽根は〈旧群馬3区〉で選挙のたびにしのぎを削ってきた仲であり、中曽根政権のやがての“円熟”が、福田の影をより薄めていったことにほかならなかった。

 かくて、福田が精彩を欠く一方で、さしもの田中も「闇将軍」「キングメーカー」としての力量発揮に落日が訪れた。ロッキード裁判で一審有罪のダメージを受ける中、田中派の竹下登が『創政会』を結成して派閥は分裂状態となり、そのさなかの昭和60年(1985年)2月27日、田中は重度の脳梗塞を発症、再起の道を閉ざされることになった。それから約8年後の平成5年(1993年)12月16日、裁判上告審の渦中で死を迎えることになる。享年75であった。

 田中にとって、終生のライバルだった福田の存在とは何だったのか。反骨精神を秘め、お人好し、恬淡とした性格、私生活も浮いた話ひとつなく、そして何より旧大蔵省出身のエリート中のエリートだった福田。田中にとっては、この自分には手の届かぬ対極の人、「敵」を向こうに、権力闘争はしたものの、自ら人生の山の高みを目指すための“道標”でもあった気がする。福田は田中の死後2年にして、追い駆けるように泉下の人となっている。
(文中敬称略/次回は石原慎太郎)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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