菜乃花 2018年10月04日号

森永卓郎の「経済“千夜一夜"物語」 ★日本経済転落の理由

掲載日時 2018年08月31日 12時00分 [社会] / 掲載号 2018年9月6日号

 国連統計で世界のGDPに占める日本の比率を見ると、1995年に17・5%だったものが、2016年には6.5%となっている。20年余りで日本のGDPシェアは、3分の1に落ち込んだことになる。

 日本経済の衰退は、人口減少が原因だという説があるが、それは違う。1995年から2016年にかけて、人口は1%も増えている。また、日本経済は、高齢化で労働力が減ったことで衰退したという説もあるが、就業者数も、わずか0.1%だが増えているのだ。

 それでは、日本経済がなぜ空洞化したのか。そのきっかけは、1985年9月のプラザ合意だった。
 先進5カ国の大蔵大臣、中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集まり、協調介入で円高にする合意をした。その結果、合意直前まで1ドル=240円だった為替レートは、1987年末には1ドル=120円の超円高となった。2年余りで2倍の円高だ。

 この円高は、日本の輸出商品に一律100%の課税を行うのと同じような効果を発揮した。そこで、日本での生産活動が不可能になった製造業は、次々と海外移転を始めた。実際、1985年には3.0%にすぎなかった海外生産比率が、2016年には23・8%と、8倍になったのだ。

 円高が長期に経済を低迷させることは、実は沖縄が証明している。太平洋戦争で米国に占領された沖縄では、1946年4月に、米軍が発行するB円という軍票が公式通貨とされた(米軍が韓国で使用した軍票がA円だった)。その後、'48年7月には日本円の使用が禁止され、沖縄で使える通貨はB円だけになった。終戦後、米軍は沖縄に米軍基地を建設するため、多くの沖縄の労働者を使用したが、労働者に支払われたお金は、米軍が作った紙切れだったのだ。

 当初、B円と日本円は等価だった。つまり、1B円=1円だったのだ。ところが、米軍は'50年4月に、突然B円の為替レートを1B円=3円に切り上げた。この為替政策によって、米軍が日本本土から資材等を輸入する際のコストが3分の1に減った。おそらく、それが為替変更の目的だったのだろう。

 しかし、このB円高によって、沖縄の製造業は、完全に国際的な価格競争力を失ってしまった。いまでも、沖縄県の製造業は、本土に比べると圧倒的に弱い。「県民経済生産」によると、産業全体のGDPに占める製造業の割合は、全国平均が20・8%であるのに対して、沖縄県は4.9%にすぎない。'58年にB円は廃止され、それ以降、沖縄では米ドルが使われることになったが、たった8年間の通貨高で沖縄の製造業は破壊されてしまったのだ。

 プラザ合意後の日本では、資本自由化や不良債権処理によって、製造業以外の分野でも、経済が次々に外資に支配されていくことになったのだが、空洞化の原点は円高だった。

 最近の経験でも、民主党政権末期に1ドル=79円の円高が襲ったため、日経平均株価は8600円となり、日本中に派遣切りの嵐が吹き荒れた。通貨高が経済を破壊することは明らかなのだ。にもかかわらず、当時の中曽根内閣は、なぜ日本経済崩壊に直結するプラザ合意を受け入れたのか。
 戦後経済の最大の謎なのだ。

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