葉加瀬マイ 2018年11月29日号

真夏の特別読み物 幕末志士たちの「精力絶倫」知られざる性豪列伝〈岩崎弥太郎〉

掲載日時 2018年07月29日 22時00分 [エンタメ] / 掲載号 2018年8月2日号

 岩崎弥太郎は、土佐藩の地下浪人という郷士身分を他人に売った最下層の武士の出身だが、三菱財閥総帥にまで上り詰め巨万の富を得た。その経営手法は強引で、政府高官と癒着するなどして海運業を拡大。一時は、日本の汽船総数の7割以上を三菱が占め、日本の海運を独占した。

 岩崎が海運業を始めるきっかけは慶応3年(1867年)に、土佐藩の後藤象二郎が長崎に作った藩の組織・土佐商会の主任に弥太郎を命じたことからだ。
 「その当時から、岩崎の豪快な女遊びは始まっている。連日連夜、長崎の花街丸山に入り浸り、半年間で100両もの公金を使い込んだ。ただし、一人の芸妓と親しくなり、この女性から国際商業都市だった長崎の最新情報を入手していたというからしたたかです。岩崎はのちにこの芸妓を、東京に呼び寄せ面倒を見ています」(前出・歴史雑誌編集者)

 明治に入り莫大な富を得ると、岩崎の遊郭遊びはさらに豪快になる。大金で顔をはたいて暴言を吐き、自分のものにすることもあったとか。嫌がる芸妓が泣く泣く身請けさせられたこともあったという。
 「ある夜の座敷でのこと。半玉という見習い芸者を気に入り、その夜に無理やり水揚げをすませた。翌日、同じ店に行くとその娘がいるので酌をするように命じ、女将が『双子の妹』だと説明するや、岩崎は、その妹まで水揚げしてしまったのです。全国各地を周り仕事をした岩崎は、こんな具合に各地で自分のお気に入りの芸妓をつくりまくったとされます」(同)

 弥太郎には正妻の他に6人の妾がおり、なんとその全員が岩崎邸で同居していた。結果、多くの子どもがいたが、妾の子だからといって差別せず、平等に育てたという。

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