RaMu 2018年12月27日号

田中角栄「名勝負物語」 第三番 石原慎太郎(1)

掲載日時 2018年11月26日 06時00分 [政治] / 掲載号 2018年12月6日号

 昭和43年(1968年)7月、一橋大学在学中に発表した『太陽の季節』が芥川賞を受賞して以後、数々の話題作で文壇の寵児となっていた石原慎太郎が参院選に出馬、全国区で史上初の300万票を集めてトップ当選を果たした。時に、36歳であった。

 じつは、この選挙戦のさなか、当時、出版社に勤めていた筆者は石原にインタビューをした思い出がある。なるほどこれが“慎太郎刈り”かと妙な感心をしていると、後年も変わらずの目をパチパチさせながら、極めて早口で自民党の現状打破、「体制内改革」をブチ上げていたものである。初登院はナント、石原の選挙を後押ししていた自動車メーカー・マツダが売り出して間がなかった、スポーツタイプのロータリーエンジン搭載の白の「コスモ」で乗りつけた。なんとも異例の初登院に大いに話題を提供したものだった。

 颯爽としたこの1年生議員は、その足でまずは時の自民党幹事長だった田中角栄にあいさつに向かった。自民党本部4階の幹事長室で田中と向かい合った石原は、開口一番こう言った。

「幹事長、いまの自民党の広報活動はなっていない。『自由新報』(党の機関紙)の編集もなってない。自民党本部の職員は、こんなに要らんでしょう。削減すべきです」

 黙って聞いていた田中が、この直後、ピシリ一言いった。

「君の話は分かった。しかし、人間は木のマタから生まれてくるのではない。人には、それぞれ歴史というものがある」

 石原は「?」というような表情を見せ、幹事長室を出たのだった。

 この田中の一言には、田中の人生観、政治姿勢が表われていた。こういうことである。

 石原はこれまで、文学の世界、メディアの世界でモノを言い、それはある種の新しさと歯切れのよさから支持を集めた。しかし、田中に言わせれば、それはあくまで「論」であり、実人生と必ずしも合致しない。

 例えば、自民党という大組織には現実というものがある。広報活動も、『自由新報』の編集も積み重ねがあり、一朝一夕にできたものではない。皆、それなりに苦労してやっている。また、党本部の職員が多すぎると言っても、即削減したらどうなるか。クビになった本人はどうする、その家族も路頭に迷う。人間はひょいと木のマタから生まれたわけではなく、親があり、しがらみを呑み込みながら頑張っているのだ。歴史ということである。「論」ではどうにもならぬものが世の中にはあるのだと、石原を戒めたということだった――。

 これを機に、その後、昭和60年に田中が病魔に倒れ、その政治活動を停止するまでの17年間にわたる、田中と石原の確執の幕は、事実上、切って落とされることになる。その一つのピークは、昭和48年夏に自民党内で結成された反田中の政治集団「青嵐会」であった。

★反田中「青嵐会」結成でピークに

 この「青嵐会」結成には、いくつかの背景があった。

 前年、内閣を組織して、「日中国交正常化」に舵を切った田中に対し、自民党内の台湾“切り捨て”に、「反共」、親台湾派の反発が高まったことのほか、田中内閣で若手の登用がなかった不満も出た。また、48年春にすでに「日本列島改造論」にカゲが差し、前年12月の総選挙で敗北した田中首相は、次の総選挙、あるいは来たるべき参院選での勝利による政権浮揚を策して「衆院は小選挙区比例代表並立制、参院の全国区は非拘束名簿式比例代表制とする」などの公職選挙法改正を進めたこともあった。

 田中は、もともと「小選挙区制」には否定論者だったが、自民党に有利なこの改正を政権浮揚策としたい“窮余の一策”であった。しかし、これは自民党内が圧倒的反対で、結局、陽の目を見ることなく潰された。当時、朝日新聞は田中内閣の「決断と実行」のキャッチフレーズをもじって、「独断とシマッタの角さん」と書いたものだった。

 さらに言えば、田中が首相の座を獲得した「角福総裁選」時、露骨な“札束戦法”を取ったとし、それ以前の田中の“金権政治手法”に対する批判も、「青嵐会」結成を後押しした結果となっている。なるほど結成時のメンバーは、中川一郎、渡辺美智雄、中尾栄一、浜田幸一など31人、「角福総裁選」では親福田(赳夫)のメンバーがほとんどだった。石原もまた、福田シンパであった。

「青嵐会」の命名は、幹事長ポストにすわったその石原であった。小説家らしく、青葉の頃に吹き抜ける強風を意味する夏の季語である「青嵐」から引用したものだった。

 また、「混沌、停滞した政界に、さわやかな風を送り込もう」と謳い、綱領は「自由社会を守り、自由主義国家と親密に連携する。また、青嵐会はいたずらな議論に堕することなく、一命を賭して、右実践ことを血盟する」として、メンバーは実際に指を切って“血判“を押印、これまた話題を呼んだものだった。

 メンバーは、時に首相官邸に乗り込み、田中に強談判を迫ったりした。田中は激怒、しかし一方で組織としての「青嵐会」のこれ以上の拡大については、冷静に見ていたのだった。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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