菜乃花 2018年10月04日号

本好きリビドー(87)

掲載日時 2016年01月10日 18時00分 [エンタメ] / 掲載号 2016年1月7・14日合併号

◎快楽の1冊
『カールの降誕祭(クリスマス)』 
フェルディナント・フォン・シーラッハ/酒寄進一・訳 東京創元社 1500円(本体価格)

 現在はかなり有名な俳優の一人である石橋凌だが、かつてはロック・バンドのARBが活動の中心であった。例えばRCサクセションのように誰もが知る存在までには成長できなかったけれど、ミュージシャンを志す若者からは絶大な支持を受けていた。言わば玄人向けのバンドだったのかもしれない。
 このARBが残したシングルで『BLACK Xmas』という曲がある。1980年にリリースされた。基本的にはポジティブな歌詞だけれど、ひねりを入れてある。日本人の節操のなさは多くの人が認めるもので、キリスト教とは無関係に生きているのに、シーズンになるとクリスマスを祝う国民が急増する。石橋凌はこの傾向を皮肉っており、ブラックという逆説的な単語を使って、心の底から祝い楽しむ気持ちを尊重している。
 さて短篇集『カールの降誕祭』の表題作は、まさしく黒いクリスマスの話だ(訳者はあとがきで本書を読者に向けた“ブラックなクリスマスプレゼント”と称している)。おそらく10世紀から続く貴族の家系に生まれたカール・トーアベルクは、子供の頃、絵を描くことに多くの時間を費やしていた。だが結局、大学では数学を専攻し、実家から離れた所にある損保会社に就職した。しかし、クリスマスのときには帰省する。その帰省時、大人になってからは淡々と日々を過ごしていたカールだが、ある心の変化が起きて、むごたらしい事態が…。
 わずか3篇しか入っていない短篇集だが、1冊を何度も読み返したくなる。今までにも翻訳されたシーラッハの本の装画を手掛けてきたタダジュンの挿絵がフューチャーされ、犯罪に向かわざるを得なかった大人たちを主役にした黒い絵本になっている。ARBの曲とは異なりネガティブな内容ながら、人生の真理を突いている点は共通している。
(中辻理夫/文芸評論家)

【昇天の1冊】
 『健脚商売』(中央公論新社/1500円+税)というタイトルの本を読んだ。剣客ではなく“健脚”で、健気な脚、または健康的な脚という意味だろう。女子競輪選手たちの奮闘を追ったドキュメンタリーだ。
 女子競輪(ガールズケイリン)は2011年、約半年ぶりに復活したばかりだ。キャッチフレーズは「顔より太もも」。鍛え上げられた女性の脚の筋肉を打ち出した、何ともアスリートらしい謳い文句である。
 だが、彼女たちの太ももは、一夜にして成長したわけではない。競輪選手になるためには、全寮制の養成学校に入らねばならない。本書は、その学校に入学した1期生たちに、とことん密着している。
 女子競輪の選手たちの前歴は、引退した元アスリート、主婦、OLなどさまざま。中には“引きこもり”だった女性もいるという。いずれも何かしらの挫折を経験し、競輪に夢を追い求めてやって来た。待ち受けるのは、男でも逃げ出しそうな過酷なトレーニングだ。
 学校を卒業し、晴れて選手になれたとしても、ガールズケイリンの賞金は男子選手に比べて低い。自転車を担いで全国を転戦し、もちろん恋なんてしている時間もない。「彼氏が欲しいな〜」という女性なら誰でも思う願望を胸に秘め、今日も全力でペタルをこぐ姿は、本当に健気で清々しい。
 姜尚中氏が寄せた推薦文〈何てチャーミングで素敵な女性たちよ〉に、心から同意できる、素晴らしい1冊である。
(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)

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