過去を消した女たち 第11回 香苗(43) 過去と決別できない元デリヘル嬢の苦しみ

エンタメ・2020/06/01 22:30 / 掲載号 2020年6月4日号

 都内近郊に店を構えるバーで、女性がカウンターにトランプを並べている。彼女はカードをめくりながら、今の健康状態などを、相談者であるバーのマスターに伝えていた。タロット占いができるという彼女は、常にトランプを持ち歩いているという。

 彼女の名前は香苗。年齢は43歳。元風俗嬢である。

 香苗に指定されたバーで待ち合わせをしたのち、私たちはファミレスに移動した。黒髪のロングヘアで、タレ目、どこか漫画のキャラクター・ムーミンを思わせる顔立ちをしている。美人というよりは、朗らかな空気を持った女性である。

 香苗は高校卒業後から風俗で働きはじめた。

「お金に困っていたわけではなく、とにかく常に男の人と接していたいという気持ちがあったんです。両親が離婚して、父親がいない生活を幼い時からしてきたからか、男性と一緒にいると心が落ち着くんです。匂いであったり、関節の太さだったり、女性とは違うじゃないですか。高校時代に彼氏ができて、肉体関係を持った時に、すごく癒やされるような気持ちになったんです。セックスをしていくうちに、どんどん気持ちよくなりましたし、常にその感覚でいたいと思って風俗で働くことにしたんです」

 そんな香苗が選んだのは、デリヘルだった。

「ずっとデリヘルで働き続けました。何となくですけど、店舗型の風俗店より、周りにバレにくいかなと思ったんです。働いていることが知られるのは、絶対に嫌だったので」

 その後もデリヘルで働き続けた香苗は、その間、客を相手にするのが嫌だと思ったことはほとんどなかったという。天職とまで言い切る風俗の仕事を、なんと20年も続けたのだ。

 そんな彼女がデリヘルから足を洗ったのは、5年前のことだ。なぜその決断をしたのか。それまで屈託なく話していた彼女の表情が、少し曇ったような気がした。

「風俗嬢時代の最後のほうに一度、結婚したことがあったんです。相手は、勤務していたデリヘルの経営者でした。結婚してからも仕事を続けていたんですけど、彼の暴力がひどくて、離婚しました。暴力がはじまった発端は、こっそりお客さんと本番をしているのがバレたからです。彼とは、結婚してほとんどセックスレスだったんですけど、その頃、妊娠して、堕したことがバレて、それから手を出されるようになりました。毎日、仕事が終わって家に帰ると、些細なことから暴力が始まるんです。それで精神的に参ってしまい、離婚と同時に風俗から離れようと思ったんです」

 風俗の仕事を辞めたものの、人生の大半を風俗業界で生きてきた香苗には、差し当たってやりたいことが何もなかった。ただ、稼いだ金を右から左に使うタイプではなかったので、人並み以上に貯金はあった。

「ブランドにも、美味しいものにもあんまり興味がなかったですし、マンションを買ったりもしなかったので、現金だけは持っていたんです。億まではいかないですけど。数カ月休んで、何をしようか考えている時に、子ども向けの古着屋をはじめようと思ったんです」

 なぜ、子ども向けの古着屋だったのか?

「風俗の仕事で、私はお客さんが望めば、特にお金をもらわなくても本番をやらせていました。それで、何度か妊娠したこともありました。本来なら生まれてくるはずの命だったのに、私の勝手な都合で堕ろさなければならなかった。考えてみれば、とんでもなく罪なことだと思って、今いる子どもたちに少しでも綺麗な服を着てもらいたいなという思いが湧いてきたんです。もしかしたら、生まれてくるはずだった子どものために服を売っているのかもしれませんね」

 もう一つ気になったのは、タロット占いについてだ。こちらも、風俗の仕事を辞めてからはじめたという。

「10代の後半から40代の手前まで、ずっと風俗の仕事をしてきましたが、仕事を辞めてから、心にポカンと穴が空いたようになって、不安な気持ちになったんです。これから私はどうなってしまうのかなって。そんな時に占いをしてみたら、少し気持ちが楽になりました。人生の指針というか、こうした方がいいんじゃないというアドバイスがもらえたような気がしたんです。それで興味を持って、今では人にも占ってあげるようになりました。占っている時も、心が落ち着くんです」

 古着屋の経営とタロット占いは、彼女にとって心の支えになっているようだった。それでも風俗の仕事で積み重ねてきたことは、現在へも繋がっていた。

 過去を引きずった香苗の姿からうかがえるのは、風俗との縁は簡単には切れないということだ。おまけに、離婚した後も元夫との縁は切れていないという。

「今も、お店を手伝ってくれないかと声を掛けられているんです」

 風俗嬢だったことを誰にも言っていないという香苗。しかし、彼女は過去を消したというよりは、過去を消すことができない女である。

 私の取材を終えてから間もなく、彼女は元夫のデリヘルを手伝うようになった。昼間は古着屋、夜は事務所で電話番をしているという。

 もう現場に出ることはないというが、電話口で聞いた彼女の声は、どことなく弾んでいたのだった。

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