菜乃花 2018年10月04日号

プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ビル・ロビンソン」日本で初めて外国人エースに君臨した“人間風車”

掲載日時 2018年03月31日 15時00分 [スポーツ] / 掲載号 2018年4月5日号

 最近ではベビーフェイスの来日外国人レスラーも珍しくはないが、かつて力道山の時代においては、外国人レスラーといえば悪役であることが当然だった。世界最高峰であるNWA王者のルー・テーズともなると、さすがに露骨な反則は行わないが、それでも力道山の攻撃をすかすなどして、観客の怒りを買うようなファイトを見せていた。
 世界的なベビーフェイスだったミル・マスカラスでさえ、日本プロレスへの初来日時には“悪魔仮面”というニックネームが冠されたものだった。
 明らかに悪役ではない外国人となると、その嚆矢は新日本プロレスの旗揚げでアントニオ猪木と対戦したカール・ゴッチになるか。猪木の師匠格とされた“プロレスの神様”は、その乗り越えるべき壁であり、猪木とゴッチの闘い模様は、それまでの善玉vs悪玉という定番とは異なるものとなった。とはいえ、日本人エース=猪木の引き立て役には違いなく、その役割は悪役レスラーと同質のものといえる。

 では、日本人の当て馬ではない純粋な外国人ベビーフェイスとして、最初の成功例は誰かといえば、おそらく“人間風車”ビル・ロビンソンであろう。
 “スネーク・ピット(蛇の穴)”ことビリー・ライレー・ジムで身につけた華麗なテクニックで、日本マットでも大いに人気を博したロビンソンは、1968年4月、国際プロレスで初来日を果たしている。

 その前年に設立された同団体は、当初、デビューから2年足らずのグレート草津をエースに擁立する予定だった。しかし、草津は大事な旗揚げ戦でルー・テーズの持つTWWA王座に挑戦するも、バックドロップで失神KO負けを喫してしまう。
 「そもそもこのタイトルは国際プロが設立したもので、草津に勝たせて“箔付け”するためにルー・テーズを初代王者に認定していた。だから草津が負けるなど、団体としてはまったくの想定外でした」(スポーツ紙記者)
 海千山千のテーズならば“上手な負け方”などお手の物だったろうが、新人に毛が生えた程度の草津が相手では、そのプライドが許さなかった。

 困ったのは旗揚げ早々にエース候補を潰された国際プロで、ほかにもキャリア十分の豊登やアマレスの実力者だったサンダー杉山らはいたが、これは国際の試合を放映するTBS側が、「いずれもずんぐりむっくりとした体形でテレビ映えしない」と乗り気ではない。そんなタイミングで来日したのが、ロビンソンだった。
 英国紳士然としたルックスに抜群のレスリングテクニック、そして日本初披露となった必殺のダブルアーム・スープレックス。すべてにおいてハイレベルであり、また欧州ではアメリカほどプロレスが盛んではなかったため、スケジュールを押さえるのにも都合がよい。エース不在となった国際にとって、日本人ではないという点さえ目をつぶれば、まさに願ってもない存在であった。
 「ロビンソンら欧州勢のブッキングを橋渡ししたのが、その頃、アマレス界のトップだった八田一朗氏でした。その顔を立てる意味もあったのでしょう」(同)

 初来日で豊登と杉山を相手に、自身の所持するヨーロピアン・ヘビー級王座の防衛戦を行ったロビンソンは、同年11月に再来日を果たすと、第1回ワールド・チャンピオン・シリーズで優勝。国際の看板タイトルとしてIWAが新設されると、ヘビー級の初代王者に認定され、'70年5月まで約1年半にわたって王座を守り続けた(サンダー杉山にリングアウト負け)。
 この間はタッグでも日本人選手と組み、日本陣営のエースとして闘った。その後、アメリカに主戦場を移すと、AWAエリアで主要選手として活動することになり、国際プロのリングからはフェードアウト。'75年にカール・ゴッチの要請に応じて新日本プロレスへ参戦すると、猪木とのシングル戦で歴史的な名勝負を繰り広げた(60分3本勝負、両者1本ずつ取っての時間切れ引き分け)。
 その翌年にはAWAと全日本プロレスとの関係から、ロビンソンも新日を離れて全日へ移籍。最初こそは、ジャイアント馬場の持つPWF王座に挑戦して敗れたものの、以降は全日のUN王座をジャンボ鶴田から、PWF王座をキラー・トーア・カマタから奪取するなど、やはり国際時代と同様に外国人エースにふさわしい扱いを受けた。

 普通、プロレス入りする選手は、もともとプロレスが好きだったり、他競技からの転向だったり、動機はさまざまあれど、いずれにしても“プロレスラーになる”と覚悟を決める瞬間があるものだろう。
 しかし、ロビンソンの場合は、ただ強者を目指してレスリングの稽古を積んでいく中で、いつの間にかプロになっていたという珍しいパターンである。
 ヒールかベビーかという意識が薄かったために、ロビンソンは“日本でエースを張る”という特異な形をすんなり受け入れることができたのだろう。

ビル・ロビンソン
1938年9月18日〜2014年2月27日。英国マンチェスター出身。身長185㎝、113㎏。得意技/ダブルアーム・スープレックス、ワンハンド・バックブリーカー

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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