葉加瀬マイ 2018年11月29日号

天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小渕恵三・千鶴子夫人(下)

掲載日時 2018年06月18日 08時00分 [政治] / 掲載号 2018年6月21日号

 のちの昭和天皇の病状が芳しくない中、竹下内閣官房長官の小渕恵三は緊張の日々をすごしたが、妻の千鶴子も同様の緊張を余儀なくされた。千鶴子は当時の心境を、のちに雑誌で次のように吐露している。
 「陛下がご病気になられ、崩御されるまでの主人はまさに緊張の連続でした。都心から1時間以上かかる場所へは行くことができず、週末は帰宅しても(自宅は東京・北区)官邸から連絡がありしだい、すぐ出掛けて行かなくてはなりません。私も同様で選挙区の群馬以外はどこにも行かず、出掛けるのは主人の泊まっているホテルに着替えを持っていくくらいでした。2人とも相当ストレスが溜まりましたが、ああいうときに、あのようなお役目をいただいたことは、ありがたいことだと思っています」

 崩御をもって「昭和」から「平成」への改元を発表した小渕官房長官は、国民から「平成長官」の異名を頂戴した。小渕といういささか地味な政治家が、初めて人口に膾炙されたときでもあった。
 その後、竹下首相がリクルート事件に関与した責任を取って退陣、竹下は全幅の信頼をかける後継として小渕を指名、小渕は自民党内最大派閥の「力学」により、ライバルの梶山静六、小泉純一郎を押しのけて総裁選に勝利、首相に就任した。小渕は「冷めたピザ首相」との酷評に対し、「レンジに入れれば温まるものだ」と、なかなかのウイットで切り返したものであった。

 しかし、20%台という“低空飛行”から出発した小渕政権は、自民党を離党して自由党を率いていた小沢一郎、さらには公明党を引き入れて「自自公」連立を組んで政権基盤の強化を策したが、政権運営は必ずしも思うに任せなかった。
 折からの不況対策で「景気最優先」を掲げて積極財政政策を打ち出したが、広く知恵を集めるという調整をより重んじた持ち前の「ボトム・アップ」のリーダーシップも、結局は多くつくった有識者会議に「丸投げ」姿勢が問われ続けたのだった。

 一方、野党や自由党、公明党の対策も「丸呑み」したことから「真空総理」ともヤユされたが、小渕は「譲るべきは譲り、貫くところは貫いている」とシタタカさを誇示もした。外交問題でも、時の中国の江沢民国家主席が強く求めた歴史認識には譲ることなく、従来の政治方針を貫いたものだった。
 じつは、決断力はなかなかの人でもあったのである。

 しかし、人生の舞台は、大方、暗転で幕となるようにできている。とくに、権力者のそれは、自ら望まない形で幕を下ろすケースが多い。小渕の場合も「低空飛行」からの出発から右肩上がりの支持率上昇のさなかに、それは起こった。
 平成12年(2000年)4月、異論もある中、自ら「二千円札」発行を決断したように、あえて沖縄でのサミット(主要国首脳会議)も決めた。そのサミットの直前、小渕は父・小渕光平元代議士と同様の脳梗塞で倒れた。折から、自由党の小沢一郎代表と「自自公」連立の離脱問題を孕みながらの応酬のさなかであった。結局、意識の戻らぬまま、倒れて42日後、死去した。享年62、まだまだこれからの、若すぎる、惜しまれての死であった。

 「オレは“ボキャ貧”だからな。ボキャブラリーが貧困だから、いい言葉がなかなか出て来ないのだ。『お疲れさま』の一言ですましている」と、生前の小渕は憶することなく口にしていたものだった。政権の実績は残念ながら20世紀から21世紀へ向けての「踊り場政権」にとどまったといえる。
 小渕は生前、妻・千鶴子によくこう言っていた。「人の良いところだけを見るのが一番いいんだ」。小渕本人が生涯、実践したことでもあったと同時に、千鶴子もそれを守ったのである。「上州女」は、芯の強さで定評がある。いま小渕の後継となった娘の小渕優子代議士の後援者などから頼まれる色紙に、千鶴子は「明るさを見て、暗さを見ず」と書くことが多い。小渕の“遺言”を守る一方、自らの生き方の指針としているようでもある。

 その娘、“忘れ形見”の娘・優子代議士は、一時は「政治とカネ」で躓いたが、こと永田町では完全復活を果たしている。かつての竹下派は額賀派となり、いま竹下元首相の実弟である竹下亘が、“復活”竹下派の新会長となっている。こんな囁きが、根強いのである。
 「引退はしているが、かつて“参院のドン”と言われた青木幹雄・元参院議員会長は、いまでも新竹下派への強い影響力を持っている。青木と小渕恵三は“盟友”でもあった。その青木氏と竹下亘会長はツーカーの仲で、青木は亘氏のあとは優子代議士に派閥をと考えている。小渕の無念を晴らすために、優子代議士を派閥会長として“総理のイス”に押し上げたいというのが夢とされている」(竹下派担当記者)

 “母・千鶴子”の「明るさを見て、暗さを見ず」の色紙の枚数は、まだまだ増えそうである。=敬称略=
(次号は、森喜朗・智恵子夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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