彩川ひなの 2018年7月5日号

幻に終わった星野巨人誕生の舞台裏を“仙友”ジャーナリストが寄稿

掲載日時 2018年01月18日 18時00分 [スポーツ] / 掲載号 2018年1月25日号

 1月4日、中日、阪神、楽天の監督として指揮を執った闘将・星野仙一がすい臓がんで亡くなった。70歳だった。

 昨年1月、星野は野球殿堂入りを果たした。そのとき、お祝いの電話を入れたのが最後だった。
 私は元スポーツニッポン記者でマスコミの人間であったが、星野とは東京六大学時代からの付き合いがあり、同学年でもあったため、大学を卒業してからも親しくさせてもらった。

 正直、すい臓がんを患っていたことは知らなかったが、現場の最前線で闘ってきた星野は常に“病”とも闘っていた。“仙友”の田淵幸一はこう語っていた。
 「まだまだ監督をする気迫は持っていたが、阪神監督時に無理を押して采配を振るっていたから、体調面はずっと心配だった」

 阪神監督時代、私は東京の宿舎をよく訪ねたものだ。その際、星野の部屋には常に10種類以上の薬が置いてあった。私の知る限りでは糖尿病と心臓病のため、グリセリンなども用意されていた。
 「絶対に言うなよ!」
 薬のことを星野からこう口止めされていた。

 '05年、星野は巨人監督を要請されている――私は星野と近い関係者から情報を得た。周辺取材すると、すでにコーチングスタッフまで決まっていた。直接、星野に電話で確認したら「誰に聞いたんだ。うまくやれ!」と否定しなかった。
 これまで間違った情報を星野にぶつけると「書いたら(記事にしたら)恥をかくぞ」と忠告してくれたので、“うまくやれ”は私なりに記事化のゴーサインと受け止めた。“星野巨人監督”は『週刊現代』で緊急連載した。結果的には、巨人OBなどの圧力により、星野の巨人監督誕生は実現しなかったが…。
 私の取材では、もし北京五輪('08年)で星野ジャパンが金メダルを獲得していれば、間違いなく星野巨人は誕生していた。だが、ご承知のように星野ジャパンは惨敗(4位)し、幻となった。

 ミスター長嶋茂雄に憧れ、その理想像を追い続けた闘将は静かに旅立った。
(スポーツジャーナリスト・吉見健明)

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