田中角栄「怒涛の戦後史」(18)元自民党副総裁・金丸信(中)

政治・2020/02/17 06:00 / 掲載号 2020年2月27日号

 田中角栄政権の誕生に汗を流した金丸信ではあったが、その田中が不明瞭な女性・金脈問題を問われて退陣したあとは、金丸の田中に対する思いや距離の取り方が微妙に変化していった。

 とくに、退陣からさほど時間がたたぬ中でロッキード事件が表面化したにもかかわらず、自分のあと三木(武夫)、福田(赳夫)、大平(正芳)、鈴木(善幸)と移る政権に、自らの復権と影響力維持を懸ける田中に対し、金丸には田中に対する別の思いが台頭していったということだった。

〈オヤジ(田中)は必死だが、このままでは田中派は持たない。世論が許さない。田中派から次の総理・総裁候補を送り出し、官僚政治ではない党人派の新しい世代の政治を確立しなければならない。その世代交代の代表に、『盟友』の竹下登を押し立てたい…〉

 金丸と竹下は、田中派が発足する前の佐藤(栄作)派からの仲である。加えて、金丸の長男・康信が竹下の長女・一子と結婚し、孫を共有する間柄になったことで、二人の関係は「政治的盟友」以上のものになっていたのである。

 金丸のそうした思いが募る中、田中は鈴木政権のあと、中曽根康弘を後継に担ぐことで、なおも影響力の維持を図ろうとした。「闇将軍」と呼ばれ、いまだ圧倒的な権力を温存する田中に、逆らえる田中派幹部は誰一人としていなかったのだった。

 一方で、金丸の“中曽根嫌い”は徹底したもので、常々「俺は中曽根くらい嫌いな奴はいない」と公言してはばからなかった。また、田中派内にも、「なぜ中曽根を担がなければならないのか」といった異論もかなりあった。

 ところが金丸は、田中派幹事会でくすぶる異論を、こう言って抑え込んだ。一夜にして「親分」の意向をくみ、次のようなあいさつをしたのである。

「諸君ッ。いまやわれわれは、“ぼろ神輿”だが中曽根を担ぐしかなくなった。諸君も知っていると思うが、私は日本一の中曽根嫌いだ。その私が言うんだ。このシャバは、君らの思うようなシャバではない。親分が右と言えば右、左と言えば左なんだ。親分が右と言うのがイヤなら、この派閥を出ていくほかにないのでありますッ」

 一方で、金丸は当の中曽根にも、こうクギを刺すのを忘れなかった。

「いざというときがあれば、俺はあんたと刺し違える覚悟だということを知っておいてくれ」

 政権をとってワガモノ顔で“独走”するようなことがあれば、いつでも“中曽根おろし”に動くことを明言したのである。

「シャバ」「親分」「刺し違える」など、政治家としてなんとも荒っぽいヤクザな言葉を操る金丸に、さかのぼって一度だけ、さすがの田中も目をむいたことがあった。

★「なんだ、金丸の野郎はッ」

 昭和55(1980)年5月、大平内閣での衆参ダブル選挙のさなか、金丸は自らの地元・山梨県甲府市で、突然「世代交代論」をブチ上げた。

「いまや政治を国民のものとするため、思いきった世代交代が必要だ。現在の派閥の長はすべて退き、派閥解消をやらねばならない。こうした私の考えに同調する仲間が、反主流派も含めて50人はいる。選挙後、私はこの人たちと行動を共にするつもりでいる」

 このとき金丸が「世代交代」の先頭に描いていたのが、「盟友」の竹下であることは、もとより田中も分かっている。

 田中は側近に、こう漏らしたのだった。

「なんだ、金丸の野郎はッ」

 しかし、結果的にこのときのダブル選挙で自民党が大勝したことで、田中はあえて金丸を“不問”に付した。だが、このときから、田中の中に「金丸、油断ならず」が強く意識されるようになったとされている。

 当時の田中と金丸の微妙な関係を、のちに田中派担当記者は次のように言っていた。

「田中は、煙たくなった金丸を衆院議長に祭り上げることを策した。しかし、田中の考えを知った金丸は、臆することなく田中とサシで会ってこう言ったそうだ。『オヤジ、私は“棚上げ”はご免ですな』と。

『闇将軍』の名をほしいままにした田中に対し、ひるむことなく単刀直入に返した金丸の言葉に、さすがの田中も二の句が継げなかったと言われている。

 このあたりを機に、永田町の『田中支配』に影が差し、『金丸支配』にジワリ動き始めたということだった」
 その『田中支配』に、ピリオドが打たれる日がやって来た。昭和60年2月、田中は脳梗塞で倒れ、以後は言葉を失い、同時に事実上、政治生命も失った。時に、中曽根首相が「再選」されて間もなくであった。

 その3カ月ほど前、田中派内では世代交代の気運が高まり、竹下を中心とする新たな“勉強会”としての「創政会」結成準備会が、田中の目をかいくぐるようにして進められていた。

 情報は、すでに田中にも漏れていた。田中は、これが竹下を中曽根の後継首相候補とし、自分が放逐されかねない“クーデター”として心を痛め、酒量を上げたうえで倒れたということだった。

 金丸がリードし、これに竹下と小沢一郎がスクラムを組むかたちで、「オヤジ(田中)殺し」という名の政変劇が始まったのだった。
(本文中敬称略/この項つづく)

***********************************************
【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

関連記事
関連タグ
政治新着記事