菜乃花 2018年10月04日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第8回

掲載日時 2016年02月27日 15時00分 [政治] / 掲載号 2016年3月3日号

 花柳界・神楽坂の“戦後復興”は極めて早かった。昭和20年3月10日の東京大空襲によりすべての待合(料亭)が灰燼に帰したものの、8月15日の終戦をはさんでのその年の暮れ近くには仮小屋のような形で営業が再開されていた。イの一番で再開したのは、やがて「政治は夜つくられる」の代名詞となり戦後政治裏面史に名を刻む「松ヶ枝」であった。「桃山」という屋号での仮営業の再出発であった。芸者も多くが疎開、その数10人足らずで若い妓は2人ほどにすぎなかった。

 24歳、終戦の2年前にはすでに年間施工実績全国50位内にランク、事業は順風満帆だった「田中土建株式会社」社長の田中角栄は会社がJR飯田橋駅前にあったことで、線路一つ隔てての神楽坂はこのころからの常連であった。筆者は戦後間もなく芸者となり、田中の座敷にも度々出ていたT子さんにその“遊びっぷり”を取材したことがある。T子さんはやがて俳優の三國連太郎と結婚、その子息が俳優として活躍中の佐藤浩市である。T子さんは、次のように話してくれた。
 「終戦から時間が経っていませんでしたから、ニッカボッカ風ズボンに上は背広というのがいつものスタイル。時には、真っ昼間から仕事仲間と乗り込んでいらっしゃる。やがて代議士になられてからは『田中先生』でしたが、そのころは芸者衆からは『おヒゲさん』と呼ばれていました。お座敷は、とにかく明るい。私どもが他のお座敷にいても、例のあのシオカラ声の大声でしたから、おヒゲさんが来ていらっしゃるのはすぐ分かりました。時には、隣の座敷からナニワ節も聞こえてきました。その上決して長っ尻じゃなく、ワッワッと来られて、ひとしきり騒がれるとパッと引き揚げてしまう。遊びっぷりにいやらしいところがなかったし、芸者衆にも何くれとなく気を遣ってくださる。みんな、おヒゲさんのお座敷に出るのが楽しかったんです。芸者衆からのモテモテぶりは、私の知る限りおヒゲさんが神楽坂一だったと思いますよ」

 一方で、こんな光景も目撃した。
 「まだ真紀子さん(元外相)が小学生のころ、奥さんのはなさんと3人でいらっしゃったことがあった。先生、しきりに真紀子さんに向かって『なっ、見ただろ。きれいだろ』と、芸者衆の後ろ姿を指さして言っていたのを覚えています。そんな先生も、ご長男の正法さん(5歳で病没)が亡くなられたときは、はた目にも気の毒なくらいしょげられ、黙り込んでお酒を飲んでいらっしゃったものです」

 こうした田中の座敷でのモテぶりは、とりわけ周囲への抜群の気配り、気遣いが特徴的だ。政治家になった後、田中は神楽坂はもとより赤坂、新橋といった花柳界へ足を運んだが、古い料亭関係者の間では次のような証言があった。要約すると、こうである。
 「他の政治家とは、一味違う。帰るときは芸者衆はもとより仲居さん、女中さん、板場さん、あるいは玄関番のジイサンに至るまで“心付け”の配慮を欠かすことがなかった。目を付けた芸者衆や仲居さんに握らせるなどは、これは多くがやる。しかし、裏方の板場さんや玄関番のジイサンまではやらない。だから、角さんを誰もが歓迎した。帰り際、同行の秘書が万札の入った白封筒を料亭の女将に渡す。多いときは、50万円も入っていたそうだ。角さんからのそれは、全員にということは女将も心得ていた。苦労人だった角さんの一貫した“人間平等主義”によるものだったのでしょう」

 ちなみに、田中が好きな女性は後年の愛人、浮名の流れた女性を含めて“ぽっちゃり型”の色白タイプが多い。戦前の名画「オーケストラの少女」で可憐な姿を見せたディアナ・ダービンを「こんな女を女房にしたい」と戦地でブロマイドを隠し持ち、上官にビンタをくらったものだった。国内では、なるほどぽっちゃりの若き日の佐久間良子、吉永小百合のファンであった。
 その上で、苦労人らしい田中の女性観があった。田中は、こう言っていた。
 「俺はツンと澄ましている女より、旅で汚れた足を洗ってくれるような女が好きだ。料亭の女将には芸者上がりと女中頭上がりが多いが、一人前になってきり回しているのはみんな女中頭上がりだ。芸者上がりというのは若いころからちやほやされてきたから、とても大きな料亭は仕切れない。苦労を知らんから、人が付いて来ない。まァ、ちっちゃな料亭ならやれるだろうが。だから、婿は上からもらった方がいいが、嫁は下からもらった方がいい。苦労しているから、うまくいく例が多い」

 かく事業家として成功した田中ではあったが、焼け野原と化した東京の終戦の光景の中で何かが弾けた。「世の中のために、私の成し得る何かをしなければならない…」
 そんな折、ひょんなことから衆院選出馬要請話が舞い込んできたのであった。
(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

関連タグ:「田中角栄」侠(おとこ)の処世

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