菜乃花 2018年10月04日号

人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第5回

掲載日時 2016年02月08日 15時00分 [政治] / 掲載号 2016年2月11日号

 何事にも誠心誠意、全力投球というのが、田中角栄の若き日からの一貫した姿勢であったことはすでに書いた。しかし、15歳で上京、全身全霊を打ち込んだ初の井上工業での現場仕事も監督のいささかの無理強いにガマンがならずで、1年足らずで退職を余儀なくされた。失業である。折りから世の中は不景気。次にようやく新聞広告でもぐり込んだのが、主筆兼編集長の社長と若い記者2人だけの『保険評論』という小さな雑誌社、記者の卵としてであった。
 田中はそれまであらゆる本をむさぼり読んでいたこともあり、文章はもともとうまかった。高等小学校を卒業後、トロッコ押しなどの現場仕事のさなかに新潮社が出していた月刊『日の出』創刊号に「三十年一日の如し」なる懸賞小説に応募、佳作に入賞してトロッコ押しの月給の3倍の5円の賞金を手にしたくらいであった。子供心に、小説家への夢も馳せたものであった。
 加えて、向学心は衰えずだったことから、ここでも保険の歴史、各社の業績分析はもとより、後にわが国経済界の大物となる富国徴兵保険の根津嘉一郎、小林中といった経営者の人物研究、数学も大得意だったことから保険数理も完璧にマスターしてしまった。これが生きて、後に大蔵大臣になったときでも保険業界お歴々を前に一席、大いにケムに巻いたこともあった。恐るべき勉強家、アッという間に記者の卵は“大記者”に変身してみせたということである。
 しかし、母思いの田中はこの記者稼業も、折りから新潟の母・フメが病いの床に伏したことを心配、見舞いを決意し、会社に迷惑も掛かることから1年足らずで潔く退職してしまったのだった。久しぶりに田中に会ったフメは、わが子を前にみるみる元気を回復したのである。

 またまたの失職。今度は求人広告ではなく自ら「夜学生、雇われ度し、住込みもよし」の三行新聞広告を出し、声を掛けてくれたのが芝琴平町にあった輸入貿易会社『高砂商会』であった。
 高砂商会での田中の仕事は、輸入した高級カットグラス製品などを自転車を駆ってデパートに納品するというものだった。ところが、井上工業での事故と同様、夜学に間に合うように飛ばしたことでカーブを曲がり切れず転倒、日本橋高島屋への高級カットグラス製品を粉々にしてしまった。
 田中は五味原という社長に詫びながら破損の弁償を申し出たが、「怪我がなくてよかった。お得意さんに代わりを届けてくれたのは何よりだった」と弁償は不要、むしろいたわってくれたのだった。弁償すれば、原価で計算しただけでも月給の4、5カ月分を返上しなければならない額だったのだ。

 田中はこのときのことを、次のように述懐している。
 「奥さんを含めて、五味原さんから“寛容”ということを学んだ。誰にも不注意による過失はある。以後、こうしたことは絶対にとがめずの原則、処世訓を身に付けた。私は、一貫して人に恵まれて仕事ができた。つくづく運のいい男だと思っている」
 「運」は、誰にでも恵って来るものではない。田中が全身全霊で働く中で恵ってきた。「天網恢々疎にして漏らさず」、天はその人の行いを見ている。その配剤によってのみ、好運と巡り合えるということのようであった。

 そうした中で、田中には長い間の憧れ、夢が芽生えていた。折りから満州事変が始まり、若者には軍人志望熱が高まり田中もまた海軍兵学校に憧れていた。まず、相談したのは母であった。大将までは望まぬ。せめて、大尉にでもなって巡洋艦の艦長にでもなれればと心した。母はキッパリと言った。「おまえは自分の将来をしっかり決める能力を持っていると思うから、おまえの言うことは信用し、賛成します」と。
 田中は、この母の言葉をもって直進した。高砂商会を辞め、友人の機械設計の図面作成の下請けで生計を確保すると、中央工学校の一方で、神田三崎町の研数学館、正則英語学校、錦城商業学校などで猛烈な勉強を開始した。海軍兵学校は中学(旧制)4年2学期修了程度の学力が必要。それも学校で首席か2番くらいまでしか入学できぬほどの難関だったからであった。結果、身体検査は1万3千人余の受験生の中で13番で合格、残る学科試験も自信満々であった。

 しかし、ここでも田中は思うようにいかなかった。一家の生計を担う母がまた病気になった。仮に入学して大尉に昇進するまで、10年はかかる。その大尉としての月給では、とても母を支えることができなかった。
 結局、海軍への憧れを捨てた。「私の夢を追うことだけで許されないことがあった。長男として一家を背負う責任は果たせない。母の重荷を分担、背負ってこそ私の責任だと思った。長い夢との訣別を決断した夜、さすがに涙が止まらなかった」というのが述懐だ。
 これを機に、田中は人生を事業家として賭けることを心に決める。19歳での新たな旅立ちが始まるのである。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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