葉加瀬マイ 2018年11月29日号

【戦国武将武田家編】実父と実兄の骨肉の争い 信繁はそれを傍観したが…

掲載日時 2018年09月08日 11時00分 [エンタメ]

【戦国武将武田家編】実父と実兄の骨肉の争い 信繁はそれを傍観したが…

 武田信玄も、最上義光とよく似た状況で父の武田信虎から当主の座を強奪している。信虎と信玄はある意味、似たもの親子。お互い気性が激しく自己主張も強い。

「生意気なヤツだな」
 次第に信虎は信玄を疎ましく思うようになり、これを廃嫡して弟の信繁に家督を譲ろうと画策した。信繁は信玄とは違って、自己主張を控えて素直に父に従う。隠居後も家中で力を誇示したい信虎にとっては、都合のよい跡継ぎと見えたのだろう。信虎は密かに廃嫡を画策するが、信玄に察知されて先手を打たれた。天文10年(1541年)、信虎が駿河の今川義元を訪問すると、留守中に信玄がクーデターを決行。信虎は帰国を拒絶され追放処分となった。

 信繁は父と兄が繰り広げる骨肉の争いをただ傍観していた。信繁も信玄に負けず劣らず聡明との評価も高く、温厚な人柄で家臣に慕われている。もしも、信繁が動けばこれに従う家臣も多くいたはず。信玄のクーデターを成功させてしまっては、自分が武田家当主となるチャンスは潰える。それどころか、処刑される危険性もあった。後々まで禍根を残さないために、権力争いをした身内を粛清するのは乱世でよくあること。しかし、
「許せ、仕方のないことだった」
 信玄は、父を追放したことを信繁に詫びた。そして、信繁に自分を補佐する副将格の立場を与えて、武田軍団の中核に据える。一時は後継を争うライバル関係とはなったが、信玄はそれをすべて水に流し、信繁を信頼して厚遇した。

 よくある骨肉の争いは、母の違う異母兄弟が殺し合うのが定番のパターン。しかし、信玄と信繁は、ともに大井の方を母とする同腹の兄弟だった。母と一緒に幼い頃から同じ屋根の下で暮らした兄弟には、血の通った信頼関係があったのだろうか…いや、信玄はそんなに甘くはない。

 桶狭間合戦で今川義元が戦死すると、信玄は同盟を一方的に破棄して駿河へ侵攻した。

 義元の娘を妻にめとっていた嫡男の義信は、同盟の信義に反すると反発したのだが、信玄に謀反の嫌疑をかけられ、切腹に追い込まれてしまう。たとえ我が子であっても、自分に逆らう者は躊躇せずに殺す。情に流されない冷酷さも、戦国武将には必要な資質である。

 人としては問題あるが、これも信玄が名将と呼ばれたゆえんだろう。


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