「おぐらが斬る!」いじめ・差別は人間の本能だからなくならない

社会・2023-05-08 20:41
「おぐらが斬る!」いじめ・差別は人間の本能だからなくならない
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先日新聞を読んでいると「校長「一身上の都合」で辞任 重大いじめ未報告判明」という記事があった。いじめ防止対策推進法で義務付けられた調査や、文科省への報告を1年以上しなかったというのが原因らしい。

この校長は自分が担当する学校で起こったいじめを「なかったこと」にしたかったのだろう。その理由としては、校長としての評価が下がるのが嫌だったに違いない。

いじめ自殺などが起こると、ほとんど学校は「いじめはありませんでした」と発表し、その後、マスコミの取材などで「自殺した子は先生に相談していた」とか「学校は何もしなかった」などということが発覚する。

これらも学校や教師の評価が下がったり保護者からの突き上げを嫌がって隠蔽しようとした結果だ。

人はよく「いじめはあってはならない」「いじめの芽を摘むのは教師の責任」などという。各学校も教師も、いじめ対策をしているのだろうが、いじめというのはなくならない。

なぜならいじめや差別というのは遺伝子に刻まれた本能だからだ。

進化生物学研究者の小松正氏によると「人間だけではなく動物界でも起こり、進化の観点から考えると生存戦略の1つである」という。

特に集団で行動する動物の間では生存率を上げるための至極当たり前の現象だというのだ。

集団行動をとる動物の場合、群れの規範から外れた行為をする個体は群れを破壊する存在とされ、制裁や排除の対象となる。これは仲間を守るために行われてきた。

このことは人類も同じで制裁や排除をすることで、仲間の結束力が強くなる効果がある。そして群れを守るということは『正義』の意味を持つことにもなる。

しかも人類の脳には、制裁や排除、つまりいじめ行為をすると快感が得られるようにプログラムされており、集団からの承認欲求も満たされる。この快感はSEXの快感よりも強いという。

本来ルールを守らない人を「制裁や排除」するという本能が、現在では「みんなとちょっと違う人」「制裁を加えてもあまり抵抗しない人」に対しても行われている。これがいじめや差別だ。

いじめや差別は『仲間を守るための正義』であるのだから、いじめに参加しない人もいじめの対象になりかねない。

しかもいじめに参加したら快感が得られるため、例えば学校の先生が「いじめをやってはいけません」というだけでは解決にならない。教育委員会も「いじめが起こったら、その学校や教員の評価を下げる」というのでは、学校側はいじめ問題が起こっても隠そうとするのは当たり前。

いじめや差別は人間の宿痾(しゅくあ・治したくても治らない病気)である。まずそれを理解し「いじめは必ず発生するもの」として対策を考えていくべきだ。キレイごとや理想論ではなかなかうまくいかないのだ。

いじめは子どものいたずらではない。犯罪であるということをお忘れなく。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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