「おぐらが斬る!」食のタブーななぜ生まれた? 神の命令より人間の都合?

エンタメ・2023-06-21 23:43
「おぐらが斬る!」食のタブーななぜ生まれた? 神の命令より人間の都合?
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ある民族や宗教によって食べる物がタブー(禁忌)になっていたりする。ヒンズー教徒は牛を食べず、ユダヤ教徒・イスラム教徒は豚を食べない。

信じられないかも知れないが、昔日本人は鶏や鶏卵を食べなかった。日本人が鶏や鶏卵を食べるようになったのは、戦国時代末期や江戸時代になってからだ。

戦国時代以前、鶏は食べる対象ではなく、姿や鳴き声を楽しむ観賞用だったのだ。さらに鶏は神聖な鳥でもあった。「古事記」や「日本書紀」によると、天の岩戸に隠れてしまった太陽神アマテラスを、鶏の声で誘い出すというエピソードが描かれて、神の使いとされてきたのだ。

神社にある鳥居の起源は、神様のお使いたる鶏の止まり木なのだ。いまでも「伊勢神宮」では鶏を『神鶏』と呼んで飼っている。かくのごとく戦国時代より前は、鶏は食べ物ではなかったのだ。日本人が鶏や鶏卵を食べるようになったのは、南蛮人の影響を受けてからである。

これは神道由来の鶏食のタブーだが、仏教由来の鶏肉食が禁止された時代があった。

675年(天武4)、天武天皇が殺生を戒める仏教の教えから、牛・馬・犬・猿、そして鶏を食べることを禁じたのだ。これが日本最初の肉食禁止令となる。

その理由としては、牛は田畑を耕す、馬は人を乗せて働く、犬は番犬となる、猿は人間に似ている、鶏は時を知らせるからだとしている。禁止期間は4月から9月までの農耕期だけだ。つまり(猿以外は)人間の役に立つから食うなというわけだ。

そして「この時代は肉食禁止」と言いながら猪も鹿も入っていない。しかも禁止期間が4~9月の農耕期だけ。仏教の「殺生を戒めるため」と言いながら、結局は人間の都合なのである。

インドのヒンズー教は牛を神聖視して食べないが、インド人にとっても、牛は無料のトラクターであり、糞は燃料になり壁材になり、肥料にもなる。インドの人は「牛は神聖だから食べない」といいつつ、こきつかっているわけだ。つまり食べちゃうよりも、ヨボヨボになるまでこき使って、老いた牛は捨てちゃうのです。捨てられた牛は、野良牛になる。

インドの町をウロウロしている野良牛の多くは、人間に使い捨てされた末路であるそうな。

ユダヤ・イスラム教徒は豚を食べない。昔豚から感染症が流行ったからとか、いろいろと言われているが、その一つにユダヤ・イスラム教徒が誕生した土地と関係があると言われている。

ユダヤ教もイスラム教も、乾燥地帯である荒野の宗教である。乾燥地帯で人間が生きていくため、もっとも大切なものの1つが【水】である。

豚は元々、大変清潔好きな動物で、水があると泥浴びをして寄生虫予防をしたり、また体温を下げるために体に泥を付けたりする。貴重な水を泥だらけにされてはたまらない。

「我々にとって肉より、まず水が貴重なのだ」と、水を汚す豚は避けられるようになったという。

いかがだろう。宗教由来の食のタブーはたくさんあるが、神様の命令というより、人間の都合でタブーになったものが多そうだ。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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