暗黒のウクライナ史

社会・2022-03-08 21:43
暗黒のウクライナ史
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ウクライナの首都キエフは、ロシア人発祥の地と言われ、ロシア人、ウクライナ人、ポーランド人などは同じスラブ民族である。

ちなみにスラブは、英語のスレイブ(奴隷)の語源とされている。かつて黒海を挟んでの隣国であるイスラム帝国や、モンゴル系のクリミア・ハン国では、ウクライナなどのスラブ民族を襲い、奴隷として売ることが、当たり前のように行われていたからだ。

言語的には、ウクライナもロシアも同じスラブ語派だが、同じウクライナでもロシアに近い東側はロシア語を話し、西側はウクライナ語を話すという。ウクライナ語とロシア語は、互いに意思疎通ができないのかというと微妙で、ウクライナ国内に限定すれば、何とか会話は可能らしい。

この言語の問題は顕著に政治に出ていて、東側のロシア語圏の住人は親露派が圧倒的に多く、西側のウクライナ語圏の住人は圧倒的にEU派が多い。しかし親露派といってもロシア大好きというわけではない。

ウクライナ人は1932年~33年にかけて、スターリンによってホロドモールという人工飢饉で、5人に1人が餓死させられるという大虐殺を受けているため、親露派といえどもロシアを許してはいない。

ウクライナは豊穣な農地を持ちながら、常に周辺国から侵攻を受けてきた歴史がある。前述したように、モンゴル帝国やイスラム帝国、17世紀にロシア帝国の一部を併合させられ、18世紀には女帝エカテリーナ2世によって完全にロシアの一部とされた。そして20世紀にはソ連の構成共和国となった。

第二次世界大戦では、ドイツにウクライナの大半を占領されたこともあった。1991年8月独立を宣言。しかしその後もロシアから圧力を受け続けて現代にいたっている。

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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