プーチンはチェチェンの悪夢を繰り返す①

社会・2022-03-30 20:23
プーチンはチェチェンの悪夢を繰り返す①
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1994年12月、ロシア軍は以前より独立を宣言していたチェチェン共和国に侵攻。第一次チチェン紛争が勃発した。指揮はロシア国防相グラチョフである。

12月31日夜、グラチョフ国防相は国境近くに陣を構え、友人と一緒にウオッカを飲んでいた。翌1月1日はグラチョフの誕生日であるため、パーティーをやっていたのだ。

グラチョフはベロベロ状態になったとき、それまで控えていたチェチェンの首都グロズヌイに一斉攻撃の命令を出す。ただし泥酔していたグラチョフは、「武器を持たずに出撃せよ」と命令し、さらに「民間人は狙うな。武装した敵のみを狙え」という意味不明なものであった。

元日の明け方に出撃したマイコープ旅団1000人は、60時間で壊滅する。グラチョフは酔いが醒めてから、自分がとんでもない命令を出したのに気付いたが、「チェチェンの首都グロズヌイはロシア軍が制圧した」と嘘の報告をする。

おそらくいまのプーチンに正しい戦況を伝える者がいないのと同様、グラチョフもエリツィン大統領にいい報告しかしたくなかったのであろう。実際に制圧できたのは、2か月後であった。

ロシア軍でグダグダだったのはグラチョフだけではない。一般の兵士たちの士気は低く、支給されている拳銃や弾薬を地元民間人に交渉して酒に代えてしまった者もいた。

その後も、ロシア軍は民間人を巻き添えにする戦いを繰り返し、国際的な非難を浴びたあげく、1996年4月に紛争終結。ロシアの負けで終わった。

このロシア軍のグダグダ感は、現在のウクライナ戦争でも見て取れる。ウクライナの場合、酒による失敗は伝わってこないが、酒どころか兵士に満足に食料が行き渡っていない。指揮系統の乱れか、意味不明の作戦行動に出て撃退されることも多い。

第二次チェチェン紛争では、プーチンが首相になり、やはり今回のウクライナ戦争と同じ作戦をとり泥沼化するのだ。
(次回へ続く)

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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