江戸時代、農村部は百姓が支配していた?

社会・2022-10-21 10:57
江戸時代、農村部は百姓が支配していた?
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江戸時代というのは、言わずと知れた徳川征夷大将軍が頂点に立つ、武士階級が支配した時代でした。この江戸時代のシステムというのは、実にうまくできていて、権力は武士階級、富は商人というように力が分散しておりました。

では、人口の85%を占めたという農民は誰が支配していたのでしょうか?

もちろん武士です。しかし実質農民や農村を大名やその家臣が直接支配していたかというとそうではありません。武士というのは、城下町に住んでいて、農村にはいないのです。ではどうしたか? 村の名主や庄屋、肝煎(きもいり)がその村なり領地を支配しておりました。彼らの身分はもちろん農民、百姓です。

「そんなの当たり前」と多くの人は思うかもしれませんが、ヨーロッパなど貴族などは自分の領地にドーンと大きなシャトー(お城)建てて領民を直接支配しています。これが世界基準と言ってもいいでしょう。数千石取りの高級旗本なら、家臣を代官として派遣することもありましたが、大名家のご家老様が殿様から与えられた領地に大きなお屋敷を建てて住むなんてことはありませんでした。ご家老様も下級武士も、武士は城下町に住むのです。では農村の支配は誰がやっていたのか・・・ それは農民と同じ百姓である名主・庄屋・肝煎と言った人です。

主に名主は関東、庄屋は関西、肝煎(きもいり)は北陸や東北で多く使われた呼び名ですが、どれも村の首長で、中には10か所以上の村を統率する大庄屋もいて、自分が所属する大名家より裕福な場合もあったそうです。

ですから、その村を領主である大名や武士たちもうかつなことはできません。お金がないからと安直に年貢を上げようとすると、庄屋をはじめとする農民が怒って、百姓一揆を起こすかもしれません。一揆が起こればその大名家は、領地をうまく治められないと幕府に判断され、改易、つまりお家お取り潰しになるかもしれません。

だから大名や武士は、基本的に自分の領地である農村に直接いって威張るなんてことはしないし、「お触れ書」など、新しい法令を領主である武士が直接領地に乗り込んで発表するなんてこともありませんでした。そういうことは庄屋や名主にやらせた方が、普段から農民と直結しているだけに、うまくいったのです。城下町に住む町人を支配していたのも、町町名主でした。

こうして日本の表向き支配者は武士たちですが、直接支配は同じ百姓である庄屋や名主がやっていました。

ちなみに百姓とは武士や公家、僧侶以外の大衆を指す言葉で、商人も職人も百姓に分類されます。農民は農業だけではなく、副業として普通に商売をやっておりましたしね。城下町に住んでいる大衆は町人とも呼ばれていました。「士農工商」のうち「武士の次に偉い身分は農民」なんてことはなく、「農工商」は同じ身分でした。

いまでは「士農工商」という言葉は、教科書からも使われなくなっているそうです。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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