武道の道場に神棚が設けられたのは国家神道の影響

社会・2022-09-23 18:32
武道の道場に神棚が設けられたのは国家神道の影響
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現代の剣道・柔道の武道場には神棚が祀られています。テレビや映画なんかの時代劇でも剣術の道場には描かれています。ところが、武道史研究家の中村民雄氏によると、道場に神棚をまつる習慣はなかったようです。

武道場内に神棚がまつられるようになったのは、明治維新後、新政府による【国家神道】の推進のためでした。

明治28年(1895)に、武道奨励のために「大日本武徳会」という日本武道を保護・振興する団体が、京都に作られます。そして明治32年その道場である「武徳殿」が竣工。

この「武徳殿」に玉座が設けられました。玉座とは天皇が座る場所。時の天皇は神様です。やがて各都道府県の武徳会支部にも、玉座が設けられ神殿の役目をするようなっていったようです。

軍国主義が盛んになった昭和10年代になると、ほとんどの武道場に神殿や神棚がまつられるようになります。この時代になると文部省管轄下である学校の武道場に、神棚をまつるように指導がでます。

昭和12年には、文部省とは関係のない柔道の総本山、講道館の道場にも神棚がまつられるようになりました。柔道の創設者嘉納治五郎は、柔道を世界に広めるためにも、柔道場と宗教に関係性を持たせたくなかったようですが、時代の流れに抗えなかったようです。

そして敗戦後、GHQによる武道禁止令によって、柔道剣道などといった日本武道は行なうことができなくなり、武道場内にまつられていた神棚もすべて廃棄されました。

このように、武道場に神棚をまつるという習慣は、明治以降にできたもののようです。

では、明治より前、つまり江戸時代の道場は、どのようなものだったのでしょうか? 武術の練習場ですから、必ずしも道場が室内であったということもありませんでした。庭先や空き地が道場であるところもありました。幕末から明治初期の剣術家で、諸国武者修行をした佐賀藩士、牟田文之助によると、土間の道場が多かったとのこと。

武道専門練習施設が屋内に作られるようになったのは、江戸時代になってからだと考えられていますが(もちろんそれ以前にもあったかも知れません)、道場内には神棚ではなく、せいぜい武の神である鹿島・香取大明神の掛け軸や書が飾っているくらいだったようです。

現代武道では、練習前後に「神前(もしくは正面)に礼」とみんなで礼をします。また道場を神聖な場所として、出入りをするときは一礼しますが、これも明治になってから。天皇や国家への忠誠の証しのために行われるようになったようです。

明治以降の軍国主義によって、武道場に神棚をまつる習慣は、敗戦によって一時禁止されつつ、それでも現代の道場によみがえっているというのは、歴史の面白さを感じさせてくれますね。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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