古代日韓関係の歴史 前方後円墳と天皇陵を発掘せよ

社会・2022-11-02 18:23
古代日韓関係の歴史 前方後円墳と天皇陵を発掘せよ
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日本と朝鮮半島の歴史は古い。5世紀から6世紀にかけていわゆる朝鮮半島の南部にあったとされる「任那(みまな)」や「伽耶諸国」呼ばれてきた地域である。

古墳時代、ヤマト王権が朝鮮半島のこの辺りを支配していたらしい。朝鮮には高句麗の広開土王(好太王)という第19代王を称える碑があり、そこには「ヤマト王権が辛卯年(391年)に海を渡り百済などをうち破って臣下とした」と記されている。

また中国の歴史書「宋書倭国伝」によると倭王済が「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を受け、倭王武に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」と、これらの国々の王としての称号を、ヤマトの王が宋より受けたことが記されている。

「倭王済」とは、おそらく『古事記』や『日本書紀』に出てくる第19代允恭天皇であり、「倭王武」は第21代の雄略天皇であろうと考えられている。

そしてそこには、10数基の「前方後円墳」があるのだ。これら古墳をじっくりと発掘研究すれば古代の日韓関係が、かなりわかるはずだ。

朝鮮半島にある「前方後円墳」の、発掘研究は残念なことにあまり進んでいない。理由は韓国側が「古代に朝鮮南部を日本が支配していたという学説の証拠が出てくることを恐れているからだと言われている。

韓国だけではない。日本だって仁徳天皇陵こと大仙古墳、履中天皇陵など天皇の墓とされる古墳については、文化財保護法の適用外とされ、宮内庁によって、学術調査が厳しく制限されている。

しかしそのため仁徳天皇陵こと大仙古墳は、本当に仁徳天皇の墓かというのがわかっていない。

また、宮内庁によって継体天皇の墓とされてきた太田茶臼山古墳だが、近年の研究では1.5メートルほど離れた今城塚古墳が継体天皇の墓であるというのが定説になっている。

今城塚古墳は宮内庁管轄と違い大阪府高槻市が管理しているためか、ちゃんと発掘研究がなされ、公園として公開されており、数多くの埴輪のレプリカが展示されていたり、今城塚古代歴史があり無料で入館することができる。

ちなみに宮内庁が天皇陵の発掘を制限したのは、万世一系の天皇家を政治利用するためであったと言われている。

朝鮮半島の前方後円墳にせよ、宮内庁が管理する天皇陵にせよ、世界的な文化財であろう。歴史研究において、もう少し柔軟であっても良いのではないだろうか?

現在、日韓関係は戦後最悪と言われているが、古墳時代は盛んに交流していたことがわかっている。日本の古墳からも、韓国から渡来したものがたくさん発見されているのだ。発掘が進めば、当時の両国の関係がさらにわかるかもしれない。

歴史や学術研究は、国のメンツや都合、政治利用など関係なく進めるべきものではないだろうか?

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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