徳川家康・吉宗・家斉の自分の遺伝子をいつまでも将軍にという野望

エンタメ・2022-08-27 14:45
徳川家康・吉宗・家斉の自分の遺伝子をいつまでも将軍にという野望
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最近の遺伝子研究によると、モンゴルの英雄チンギス・ハンの子孫が世界に1600万人もいるという。ある研究では世界中の男性の200人に1人がチンギス・ハン直系の子孫であるという。

男性は自分の遺伝子を確実に残すために、複数の女性と性交し子孫を多く作ろうとするという研究者もいる。そういった意味でもチンギス・ハンは成功者と言えるのかもしれない。日本にも、多くの子どもを作って自分の血(遺伝子)を残そうとした男がいた。11代将軍徳川家斉(いえなり)である。

家斉の話をする前に、徳川将軍たちがいかに確実に自分の遺伝子を将軍職として残そうとしたかについて述べよう。

初代の徳川家康は、将軍になったとき思った。

「豊臣家は二代で滅びた。俺の血は末永く将軍家として残したい」

そこで家康は、徳川将軍家以外に3人の息子の徳川家を作った。尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家である。いわゆる徳川御三家だ。御三家はもし徳川将軍家の血統が絶えた場合の保険であった。将軍家に跡継ぎができない場合、この御三家の中から選ばれるのだ。

それが現実となったのは、ご存じ『暴れん坊将軍』こと徳川吉宗のときである。吉宗は紀州徳川家であったが、7代将軍徳川家継が、わずか8歳の幼さで病没したため、紀州家の吉宗が八代将軍となった。そして吉宗は思った。

「今後は俺の血だけで将軍家を残したい」

そこで初代家康を尊敬していた吉宗は、家康のマネをして「新御三家」を作ることにした。一橋徳川家・田安徳川家・清水徳川家である。これを「新御三家」ならぬ「御三卿」という。

吉宗のもくろみは意外と早く成功した。十代将軍徳川家治が亡くなったあと、尾張でも紀州や水戸でもなく、吉宗の血統である一橋徳川家から十一代将軍が生まれたのだ。それが53人の子どもを作る徳川家斉である。家斉も思った。

「俺の血を末代まで将軍家として残したい」

かといってまた新たに「新・新御三家」を作るわけにもいかない。そこで家斉がやったのが子作りに精を出すことだ。作りも作ったり男子26人、女子27人。そしてこの子たちを次々と他の大名家に養子に出したり、娘を嫁がせるという作戦だ。

当然その大名家の中には、御三家も御三卿や他の徳川系(松平家)も含まれていた。つまり自分の血筋の将軍家が絶えても、他の御三家や御三卿、他の松平家が将軍職を継いだとしても、自分の遺伝子が将軍として残るようにしたのだ。いやはやなんともすごい作戦である。

しかし結果的にその作戦は敗れることになる。水戸徳川家に嫁がせた峰姫に子どもが生まれず、水戸徳川家に家斉の遺伝子が残らなかったのだ。そしてその水戸家から十五代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が誕生するのである。

この十五代将軍が最後の将軍であり、家康・吉宗・家斉の「いつまでも自分の遺伝子を将軍に」という野望は終了したのである。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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